“なりたい自分”は、きっとここで見つかる!LUMINOUSが照らす輝きの連鎖【代表 番場 竜太氏】
SALON LUMINOUS(サロン ルミナス)
「鏡の中にいたのは、見たことない自分だった」
美容師を志した原点
今、僕はこうして「SALON LUMINOUS」という場所を受け継ぎ、経営者としての道を歩んでいます。ここに辿り着くまでにはたくさんの出会いと、葛藤、学びがありました。
僕の美容師になりたいという想いの原点は、中学2年の、修学旅行前にさかのぼります。
当時の僕は、ずっと父に連れられて行くのは、決まって町の床屋さん。
そして「いつものスポーツ刈り」
自分の意志なんて通らず、父は「男は短髪が一番だ!」の考えで、
毎回バリカンで仕上がる髪型が嫌で、鏡を見るたびにため息が出ていました。
でも、修学旅行の前だけはどうしても「このままじゃイヤだ!」
いつものスポーツ刈りでは行きたくなかったんです。
そこで、友人に頼み込んで、その当時流行ってい”山P風のアシメカット”に
チャレンジしてみたんですけど…結果は、まあ案の定、変な髪型になって(笑)
見かねた母が、いつも通っている美容室に僕を連れて行ってくれました。
そのとき、初めて“美容室”という場所に足を踏み入れました。
優しい美容師さんが、髪を丁寧に整えてくれて、
仕上げにワックスでスタイリングまでしてくれたときに
鏡の中に映っていたのはそれまでの僕じゃなくて、
「…え、これ俺?」って、思わず二度見するくらい、自分史上最高に“かっこいい”自分でした。
そのとき、はっきり思ったんです。
「美容師って、人の人生を変えられる仕事なんだ」って。
これが、僕のすべての始まりでした。
僕の美容師になりたいという想いの原点は、中学2年の、修学旅行前にさかのぼります。
当時の僕は、ずっと父に連れられて行くのは、決まって町の床屋さん。
そして「いつものスポーツ刈り」
自分の意志なんて通らず、父は「男は短髪が一番だ!」の考えで、
毎回バリカンで仕上がる髪型が嫌で、鏡を見るたびにため息が出ていました。
でも、修学旅行の前だけはどうしても「このままじゃイヤだ!」
いつものスポーツ刈りでは行きたくなかったんです。
そこで、友人に頼み込んで、その当時流行ってい”山P風のアシメカット”に
チャレンジしてみたんですけど…結果は、まあ案の定、変な髪型になって(笑)
見かねた母が、いつも通っている美容室に僕を連れて行ってくれました。
そのとき、初めて“美容室”という場所に足を踏み入れました。
優しい美容師さんが、髪を丁寧に整えてくれて、
仕上げにワックスでスタイリングまでしてくれたときに
鏡の中に映っていたのはそれまでの僕じゃなくて、
「…え、これ俺?」って、思わず二度見するくらい、自分史上最高に“かっこいい”自分でした。
そのとき、はっきり思ったんです。
「美容師って、人の人生を変えられる仕事なんだ」って。
これが、僕のすべての始まりでした。
ある一言が、運命を変えた!
夢は独立。でも、現実はそんなに甘くなかった
美容師になったときから、僕にはずっと夢がありました。
それは「いつか自分の店を持つこと」
有名サロンで7〜8年、スタイリストとして働きながら、技術も接客も必死に磨いてきました。
スタイリストとしての自信は少しずつついてきたが同時に感じていたのが、独立への“距離”
技術はあっても、経営の知識がない。
経営やお金のことって、誰も教えてくれないんですよ。
現実を突きつけられるたびに、「いや、無理かな…」って思ってしまって。
しかも、当時の勤めていたサロンのオーナーは
「ずっとここで働いてほしい」と言ってくれていて、
独立前提というよりは、”雇われ続ける未来”を求められていたんです。
その頃の僕は、夢を持っていたはずなのに、
「やりたいけど、できないよな」って、半ば、夢を諦めかけてました。
運命の出会い・・・
そんな時に、ひとりのお客様とスキンケアの話題になり
「合いそうな人がいる」って紹介してくれたんですよ。
「新潟にすごい美容家の方がいるんだよ。全国で活躍していて、美容の知識も経営の視点もすごい方だからよかったら一度話を聞いてみない?」
オーナーである齋藤さんとの出会いでした。
はじめてお会いした時、正直、衝撃でした。
とにかく“美しい”というか、もう存在感が違った。
美容に対する知識の深さも圧倒的だったけど、
それ以上に人を育てていく姿勢がすごく印象に残っていて。
思い切って聞いてみました。
「僕…独立したいんですけど、できますか?」
すると、齋藤さんは間髪入れずに「できるよ」って言ってくれたんです。
無理だと自分に言い聞かせていたのに、あっさりできると言われ、
この人について行こう!そう決めました。
そこから、僕の人生は大きく変わりました。
齋藤さんのもとで、技術じゃなく、考え方だったり、経営のこともたくさん学び
自分の中で「無理」だったことが、少しずつ「できる」に変わっていったのです。
それは「いつか自分の店を持つこと」
有名サロンで7〜8年、スタイリストとして働きながら、技術も接客も必死に磨いてきました。
スタイリストとしての自信は少しずつついてきたが同時に感じていたのが、独立への“距離”
技術はあっても、経営の知識がない。
経営やお金のことって、誰も教えてくれないんですよ。
現実を突きつけられるたびに、「いや、無理かな…」って思ってしまって。
しかも、当時の勤めていたサロンのオーナーは
「ずっとここで働いてほしい」と言ってくれていて、
独立前提というよりは、”雇われ続ける未来”を求められていたんです。
その頃の僕は、夢を持っていたはずなのに、
「やりたいけど、できないよな」って、半ば、夢を諦めかけてました。
運命の出会い・・・
そんな時に、ひとりのお客様とスキンケアの話題になり
「合いそうな人がいる」って紹介してくれたんですよ。
「新潟にすごい美容家の方がいるんだよ。全国で活躍していて、美容の知識も経営の視点もすごい方だからよかったら一度話を聞いてみない?」
オーナーである齋藤さんとの出会いでした。
はじめてお会いした時、正直、衝撃でした。
とにかく“美しい”というか、もう存在感が違った。
美容に対する知識の深さも圧倒的だったけど、
それ以上に人を育てていく姿勢がすごく印象に残っていて。
思い切って聞いてみました。
「僕…独立したいんですけど、できますか?」
すると、齋藤さんは間髪入れずに「できるよ」って言ってくれたんです。
無理だと自分に言い聞かせていたのに、あっさりできると言われ、
この人について行こう!そう決めました。
そこから、僕の人生は大きく変わりました。
齋藤さんのもとで、技術じゃなく、考え方だったり、経営のこともたくさん学び
自分の中で「無理」だったことが、少しずつ「できる」に変わっていったのです。
諦めなかった想い
父の言葉が今も胸にある。
美容師って、華やかに見えるかもしれませんが、実際は“人と向き合う”ことの連続です。
僕は最初の頃、接客が本当に苦手でした。
お客様の目をまっすぐ見て話せない、 思っていることがうまく言葉にできない、
良かれと思って伝えた一言で、相手を傷つけてしまったこともありました。
「自分はこの仕事、向いていないんじゃないか」 そんな気持ちに押しつぶされそうになって、何度も逃げ出したくなっていた頃、実際に身体も心も限界を迎え、ぎっくり腰で倒れてしまったんです。 でも、本当にきつかったのは”心”の方でした。
実家で療養していたある日、父にこう言われました。
「つらいなら辞めてもいい。ただ、自分で選んだ道だろ?
ここで逃げたら、お前の人生は“逃げる人生”になるぞ。それでもいいのか?」
あの言葉は、今でも忘れられません。その当時は正直「そんな厳しいこと言わなくても…」と思ったけれど時間が経った今、はっきりわかるんです。 あの言葉こそが父からの“愛”だったって。
もしあの時、父に背中を押してもらえなかったら、 僕はきっと美容師の道を諦めていたと思います。
___父の言葉は、今も僕の中で生き続けています。
あの厳しさがなければ、今の自分はきっといません。
僕は最初の頃、接客が本当に苦手でした。
お客様の目をまっすぐ見て話せない、 思っていることがうまく言葉にできない、
良かれと思って伝えた一言で、相手を傷つけてしまったこともありました。
「自分はこの仕事、向いていないんじゃないか」 そんな気持ちに押しつぶされそうになって、何度も逃げ出したくなっていた頃、実際に身体も心も限界を迎え、ぎっくり腰で倒れてしまったんです。 でも、本当にきつかったのは”心”の方でした。
実家で療養していたある日、父にこう言われました。
「つらいなら辞めてもいい。ただ、自分で選んだ道だろ?
ここで逃げたら、お前の人生は“逃げる人生”になるぞ。それでもいいのか?」
あの言葉は、今でも忘れられません。その当時は正直「そんな厳しいこと言わなくても…」と思ったけれど時間が経った今、はっきりわかるんです。 あの言葉こそが父からの“愛”だったって。
もしあの時、父に背中を押してもらえなかったら、 僕はきっと美容師の道を諦めていたと思います。
___父の言葉は、今も僕の中で生き続けています。
あの厳しさがなければ、今の自分はきっといません。
継承とチームの力
LUMINOUSという場所で、輝き合う仲間とともに
「LUMINOUS」という名前には、
“一人ひとりの輝きを引き出し、光を与えていく”という、大きな意味が込められています。
これは、僕が独立するきっかけをくださった齋藤さんが、サロン創設時から掲げてきた理念。
ただ髪を整える場所ではなく「人生に寄り添う場所」なんです。
「あなたは、もっと輝けるよ」
その人の中にまだ眠っている魅力を見つけて、そっと引き出す。
外見も、内面も、そして生き方までも変えていける。
このサロンに関わるすべての人が、自分らしく輝けるようにと、僕は心からそう願っています。
そして何よりも、僕自身がその“輝かせてもらった一人”でした。
もし齋藤さんに出会っていなければ、
もし、あの時あの一言「できるよ」をもらっていなければ、
僕は今も夢を諦めて、どこかでくすぶっていたかもしれません。
でも今は、自分の価値を信じ、自分の人生に責任を持って前を向けています。
そんな自分に出会えたのは、LUMINOUSという“理念”に触れたから。
だからこそ、僕はこの名前を、そのまま引き継ぎました。
名前だけでなく、想いも、在り方も、すべてです。
そして今、その理念を一緒に体現してくれる“最強のチーム”がいます。
LUMINOUSで一緒に働くスタッフは
それぞれが自立したプロフェッショナルであり、自分の得意分野を持っています。
脱毛メニューの導入もスタッフの一言からスタートしました。
その声が、ちゃんと届き、そして形になる。
ひとりの声を、サロン全体の力に変えられるチーム。
会議をすれば、意見が飛び交ってなかなか終わらない(笑)
でもそれって、ものすごく健全なことだと思うんです。
「自由に発言できる空気」
「それをちゃんと聞く耳」
「そして行動に移す力」
この3つがあるから、LUMINOUSというサロンは、ただ進化するだけじゃなく、
想いを持って前へ進んでいける場所になれているんです。
僕がかつてLUMINOUSで人生を変えてもらったように
今度はこの場所を通して、誰かの人生が動き出すきっかけをつくりたい。
美容師として、人として、人生に寄り添える存在でありたい。
それが、僕がこのステージで果たすべき役割だと思っています。
“一人ひとりの輝きを引き出し、光を与えていく”という、大きな意味が込められています。
これは、僕が独立するきっかけをくださった齋藤さんが、サロン創設時から掲げてきた理念。
ただ髪を整える場所ではなく「人生に寄り添う場所」なんです。
「あなたは、もっと輝けるよ」
その人の中にまだ眠っている魅力を見つけて、そっと引き出す。
外見も、内面も、そして生き方までも変えていける。
このサロンに関わるすべての人が、自分らしく輝けるようにと、僕は心からそう願っています。
そして何よりも、僕自身がその“輝かせてもらった一人”でした。
もし齋藤さんに出会っていなければ、
もし、あの時あの一言「できるよ」をもらっていなければ、
僕は今も夢を諦めて、どこかでくすぶっていたかもしれません。
でも今は、自分の価値を信じ、自分の人生に責任を持って前を向けています。
そんな自分に出会えたのは、LUMINOUSという“理念”に触れたから。
だからこそ、僕はこの名前を、そのまま引き継ぎました。
名前だけでなく、想いも、在り方も、すべてです。
そして今、その理念を一緒に体現してくれる“最強のチーム”がいます。
LUMINOUSで一緒に働くスタッフは
それぞれが自立したプロフェッショナルであり、自分の得意分野を持っています。
脱毛メニューの導入もスタッフの一言からスタートしました。
その声が、ちゃんと届き、そして形になる。
ひとりの声を、サロン全体の力に変えられるチーム。
会議をすれば、意見が飛び交ってなかなか終わらない(笑)
でもそれって、ものすごく健全なことだと思うんです。
「自由に発言できる空気」
「それをちゃんと聞く耳」
「そして行動に移す力」
この3つがあるから、LUMINOUSというサロンは、ただ進化するだけじゃなく、
想いを持って前へ進んでいける場所になれているんです。
僕がかつてLUMINOUSで人生を変えてもらったように
今度はこの場所を通して、誰かの人生が動き出すきっかけをつくりたい。
美容師として、人として、人生に寄り添える存在でありたい。
それが、僕がこのステージで果たすべき役割だと思っています。
輝きは、ここから世界へ
LUMINOUSが描く次のステージ
LUMINOUSはヘアサロンにとどまらず、トータルビューティーサロンとして進化を続けています。
「美容」と「生き方」を一緒に考えていける場所へ。
一人ひとりの本来持っている魅力を多角的に引き出し、その人自身がより豊かな人生を歩めるように僕たちは全力でサポートしています。
気持ちが前向きになり、自信が芽生え、生き方さえも変わっていく。
それこそが、LUMINOUSの持つ本当の価値だと思っています。
そして僕自身がかつてそうしてもらったように、今度は誰かの夢を支え、輝かせる番だと思っています。
僕は、40歳でハサミを置くつもりです。
これからは、独立を目指す仲間たちを育て、想いを引き継ぎ、未来へとつないでいき、
国内に数店舗、そして将来的には、まだ美容文化が発展途上の国々へも挑戦していきたい。
日本の美容技術と“人に寄り添う心”を、世界へ届けていきたいと考えています。
SALON LUMINOUSは、ただの美容室ではなく、誰かの人生の転機にそっと寄り添える場所。
「番場さんじゃなきゃ嫌だ」と言って通い続けてくれるお客様がいる。
小学生だった子が、大学生になってもきてくれる。
髪を切るだけじゃなく、その人の生き方に寄り添える仕事だからこそ
僕はこの仕事に誇りを持って続けてこられました。
そして、これからもこのLUMINOUSという舞台で、一人ひとりのなりたい自分を見つけてもらえるような、そんな“輝きの連鎖”を生み出していきたいと思っています。
「美容」と「生き方」を一緒に考えていける場所へ。
一人ひとりの本来持っている魅力を多角的に引き出し、その人自身がより豊かな人生を歩めるように僕たちは全力でサポートしています。
気持ちが前向きになり、自信が芽生え、生き方さえも変わっていく。
それこそが、LUMINOUSの持つ本当の価値だと思っています。
そして僕自身がかつてそうしてもらったように、今度は誰かの夢を支え、輝かせる番だと思っています。
僕は、40歳でハサミを置くつもりです。
これからは、独立を目指す仲間たちを育て、想いを引き継ぎ、未来へとつないでいき、
国内に数店舗、そして将来的には、まだ美容文化が発展途上の国々へも挑戦していきたい。
日本の美容技術と“人に寄り添う心”を、世界へ届けていきたいと考えています。
SALON LUMINOUSは、ただの美容室ではなく、誰かの人生の転機にそっと寄り添える場所。
「番場さんじゃなきゃ嫌だ」と言って通い続けてくれるお客様がいる。
小学生だった子が、大学生になってもきてくれる。
髪を切るだけじゃなく、その人の生き方に寄り添える仕事だからこそ
僕はこの仕事に誇りを持って続けてこられました。
そして、これからもこのLUMINOUSという舞台で、一人ひとりのなりたい自分を見つけてもらえるような、そんな“輝きの連鎖”を生み出していきたいと思っています。
会社情報
会社名略称. | SALON LUMINOUS(サロン ルミナス) |
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勤務先名 | SALON LUMINOUS(サロン ルミナス) |
代表者名 | 代表取締役 番場 竜太 様 |
1年後〜3年後の目標 | \理念を受け継ぐ店舗展開/ 「理念がぶれない」「目が届く」規模感を大切にし、3~4店舗増やしていきたいです。 齋藤さんの掲げたLUMINOUSの理念を“本質ごと”継承できる範囲で広げていけたらいいです。 \グローバルな顧客対応力の強化/ 現在でも海外在住のお客様や外国人のお客様に多数ご来店いただいております。 英語対応ができるスタッフが在籍し、僕も英語の勉強中です。 国籍問わず選ばれるサロンとして信頼と満足度をさらに追求していきます! |
新規事業・チャレンジしたいこと | \海外展開への挑戦 、 最初の舞台はインド/ まだ美容文化が発展していない“インド市場”を次なるステージに! 日本の高品質な技術とホスピタリティを現地へ届けトータルビューティーサロンとして 現地ニーズをリサーチしつつ進出したいです! \現地スタッフへの技術継承も視野に/ 単なる店舗展開だけでなく、現地技術者の育成・教育も検討中 「必要とされるなら伝えていきたい」というスタンスで、国境を越えた人材育成もできたら良いですね。海外展開においても“日本クオリティ”のトータルビューティーを届けたい! |
こんな人に会いたい | 「綺麗ごとじゃない夢」を持っている人。 僕が一緒に働いてみたいと思うのは、そういう“リアルな理想”を語れる人です。 本当に良いサービスって、自分が満たされていないと提供できないと思うんです。 だから僕は、自分の人生をちゃんと充実させたいと思ってる人で 「もっと自分を磨きたい」「そのためにはお金も時間も必要だ」 そんな風に現実を見つめながら前を向いている人に惹かれます。 その磨かれた自分だからこそ、お客様に本当に価値あるものが提供できると思うんです。 どんな職種でも、どんな場面でも、 “ブレない気持ち”を持ってる人に出会いたいと思っています。 |
事業内容 | 美容業・美容師・トータルビューティー |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
取材者名 | ㈱採用戦略研究所 小林 |
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住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
電話番号 | 07014769740 |
事務所HP | https://rs-lab.jp/ |