これから先の人生で、心の支えになる一枚を 【代表 小林 佑介氏】
photo studio moph(フォトスタジオ モフ)
「教えてください」その一言からはじまった
夢へのシャッター音
小さい頃からカメラに興味があり、学生時代は「写ルンです」をいつもポケットに入れて、どこへ行くにも持ち歩いていました。
海、ドライブ、飲み会、遊びに行ったときも思い出を形にするのが楽しくて、撮った写真は勝手に現像して、友達に配ってまわっていたんです。
でも、写真が「仕事」になるなんて、当時は思ってもいませんでした。
転機が訪れたのは、友人の結婚式に参列したときです。一眼レフを首から提げ撮影していた僕の目の前に、会場を颯爽と動き回る一人のカメラマンが現れたんです。黒いスーツに身を包み、レンズをのぞき込む姿に、思わず見とれました。「うわ、かっこいい…」と。その瞬間、気づいたら声をかけていました。
「あの、僕に写真を教えてもらえませんか?」
突然の申し出に、その方は一瞬黙ったあと、名刺を差し出しながら一言。
「電話してきなさい」それが、僕のすべての始まりでした。
次の日、緊張しながら電話をかけ、写真室を訪ねた初日。
スタッフの皆さんからは「誰だろう?」という冷たい視線。でも、あの時のカメラマンの方だけは違いました。「じゃあ、これ撮ってみて」と、課題をくれたり、現場に同行させてくれたり。
初めての撮影同行では、緊張で手が震え、写真も全然うまく撮れませんでした。
でも、そのときの新郎新婦のお二人が、僕の撮った写真を見て「わ〜、これ素敵ですね」と言ってくれたんです。
あの瞬間の胸の高鳴りは、今でも忘れられません。
「写真って、こういう力があるんだ」と、気づいた時には美容師の仕事を辞めていました。何の保証もなかったけれど、ただ「やってみたい」という想いだけで、フリーランスとしての一歩を踏み出していたんです。
海、ドライブ、飲み会、遊びに行ったときも思い出を形にするのが楽しくて、撮った写真は勝手に現像して、友達に配ってまわっていたんです。
でも、写真が「仕事」になるなんて、当時は思ってもいませんでした。
転機が訪れたのは、友人の結婚式に参列したときです。一眼レフを首から提げ撮影していた僕の目の前に、会場を颯爽と動き回る一人のカメラマンが現れたんです。黒いスーツに身を包み、レンズをのぞき込む姿に、思わず見とれました。「うわ、かっこいい…」と。その瞬間、気づいたら声をかけていました。
「あの、僕に写真を教えてもらえませんか?」
突然の申し出に、その方は一瞬黙ったあと、名刺を差し出しながら一言。
「電話してきなさい」それが、僕のすべての始まりでした。
次の日、緊張しながら電話をかけ、写真室を訪ねた初日。
スタッフの皆さんからは「誰だろう?」という冷たい視線。でも、あの時のカメラマンの方だけは違いました。「じゃあ、これ撮ってみて」と、課題をくれたり、現場に同行させてくれたり。
初めての撮影同行では、緊張で手が震え、写真も全然うまく撮れませんでした。
でも、そのときの新郎新婦のお二人が、僕の撮った写真を見て「わ〜、これ素敵ですね」と言ってくれたんです。
あの瞬間の胸の高鳴りは、今でも忘れられません。
「写真って、こういう力があるんだ」と、気づいた時には美容師の仕事を辞めていました。何の保証もなかったけれど、ただ「やってみたい」という想いだけで、フリーランスとしての一歩を踏み出していたんです。
再出発のシャッターが切られた日
涙の先に、もう一度この道を
「やってみたい」という想いだけで飛び込んだフリーランスの道でしたが、現実は甘くありませんでした。最初の頃は本当に仕事がなくて、昼はガソリンスタンド、夜はダーツバーで生計を立てながら生活もギリギリで、情熱だけではどうにもならない場面に何度も直面しました。
そんな中、かつて同行させてもらっていた結婚式場の写真室から声をかけてもらったんです。
そこが、僕にとって再出発の場となりました。
スタジオのライティング、構図、基礎のすべてを徹底的に叩き込まれました。毎日が緊張の連続で、設定を間違えれば怒鳴られ、先輩のカメラを揃えるのにも必死でした。会社に行くのが本当に憂うつで、泣きながら通っていたこともあります。でも、今思えばそこで鍛えられたことが、自分の大切な礎になりました。
その後、「もっと広い世界を見てみたい」と思い、全国展開する写真会社に転職しました。北海道から沖縄まで、全国各地の撮影現場を回る中で、いろんなカメラマンと出会いました。スタイルも考え方もまったく違う仲間たちの中で、自分の価値観は大きく広がっていったんです。そして改めて思ったんです。「やっぱり、もう一度フリーランスとして、自分のスタイルでやっていきたい」と。
開業の地に選んだのが、新潟県・阿賀野市。初めて訪れた場所だったけど、どこか地元・小千谷の空気に似ていて、自然と惹かれるものがありました。「ここなら、僕がやりたいスタジオができる」と、そう思えたんです。
そんな中、かつて同行させてもらっていた結婚式場の写真室から声をかけてもらったんです。
そこが、僕にとって再出発の場となりました。
スタジオのライティング、構図、基礎のすべてを徹底的に叩き込まれました。毎日が緊張の連続で、設定を間違えれば怒鳴られ、先輩のカメラを揃えるのにも必死でした。会社に行くのが本当に憂うつで、泣きながら通っていたこともあります。でも、今思えばそこで鍛えられたことが、自分の大切な礎になりました。
その後、「もっと広い世界を見てみたい」と思い、全国展開する写真会社に転職しました。北海道から沖縄まで、全国各地の撮影現場を回る中で、いろんなカメラマンと出会いました。スタイルも考え方もまったく違う仲間たちの中で、自分の価値観は大きく広がっていったんです。そして改めて思ったんです。「やっぱり、もう一度フリーランスとして、自分のスタイルでやっていきたい」と。
開業の地に選んだのが、新潟県・阿賀野市。初めて訪れた場所だったけど、どこか地元・小千谷の空気に似ていて、自然と惹かれるものがありました。「ここなら、僕がやりたいスタジオができる」と、そう思えたんです。
日々のやりがいと成長
photo studio mophのやさしいこだわり
スタジオをつくるにあたって、どうしても譲れない3つの想いがありました。
1つ目は「1階にあること」
以前勤めていたときに、おじいちゃんやおばあちゃん、車椅子の方、マタニティのお客様が階段やエレベーターを使って苦労されている姿を何度も見てきました。「撮影の前から大変な思いはしてほしくない」そんな気持ちから、階段を設けず誰でもすっと入れる場所にこだわりました。
2つ目は「自然光が入ること」
ライティングの技術はもちろんありますが、やっぱり僕は自然の中で撮る写真が好きなんです。柔らかい光の中で、ふとした表情や空気感がそのまま映る、そんな写真が一番美しいと感じています。
3つ目は「ロケーションがすぐ近くにあること」。
撮影のバリエーションを広げるためにも、自然の中にすっと溶け込める場所が理想でした。
そして瓢湖のある阿賀野市は、四季折々の風景に恵まれていて、白鳥が飛来する静かな水辺は、僕にとっても心の休まる大好きな場所です。
スタジオからは徒歩2分ほどで行ける距離にあって、撮影のたびに気軽に足を運べるのも大きな魅力でした。まさにこの場所が、僕の理想だったんです。
理想のスタジオが形になった今、僕を突き動かすのは、やっぱり“お客様の声”なんです。
「お願いしてよかった」「また撮ってほしい」そんな言葉に何度も救われてきました。
撮影した写真がLINEのアイコンに変わっていたり、数年後に同じ構図で撮る機会があったり、写真を通して時間や成長を共有できることが何よりのやりがいです。
写真がなくても人は暮らしていけるけれど、「それでも残したい」と思ってもらえることやその瞬間に立ち会えるからこそ僕は、今日もカメラを手にしています。誰かの今が、明日の心の支えになるそんな一枚を、これからも撮り続けたいと思っています。
1つ目は「1階にあること」
以前勤めていたときに、おじいちゃんやおばあちゃん、車椅子の方、マタニティのお客様が階段やエレベーターを使って苦労されている姿を何度も見てきました。「撮影の前から大変な思いはしてほしくない」そんな気持ちから、階段を設けず誰でもすっと入れる場所にこだわりました。
2つ目は「自然光が入ること」
ライティングの技術はもちろんありますが、やっぱり僕は自然の中で撮る写真が好きなんです。柔らかい光の中で、ふとした表情や空気感がそのまま映る、そんな写真が一番美しいと感じています。
3つ目は「ロケーションがすぐ近くにあること」。
撮影のバリエーションを広げるためにも、自然の中にすっと溶け込める場所が理想でした。
そして瓢湖のある阿賀野市は、四季折々の風景に恵まれていて、白鳥が飛来する静かな水辺は、僕にとっても心の休まる大好きな場所です。
スタジオからは徒歩2分ほどで行ける距離にあって、撮影のたびに気軽に足を運べるのも大きな魅力でした。まさにこの場所が、僕の理想だったんです。
理想のスタジオが形になった今、僕を突き動かすのは、やっぱり“お客様の声”なんです。
「お願いしてよかった」「また撮ってほしい」そんな言葉に何度も救われてきました。
撮影した写真がLINEのアイコンに変わっていたり、数年後に同じ構図で撮る機会があったり、写真を通して時間や成長を共有できることが何よりのやりがいです。
写真がなくても人は暮らしていけるけれど、「それでも残したい」と思ってもらえることやその瞬間に立ち会えるからこそ僕は、今日もカメラを手にしています。誰かの今が、明日の心の支えになるそんな一枚を、これからも撮り続けたいと思っています。
写真に込める想いの変化
忘れたくない一瞬を、支えになる一枚に
「photo studio moph」で僕が大切にしているのは、ただの記念写真ではなく、“人生の中で心の支えになる写真”を届けることです。
災害が起きたとき、人が真っ先に持ち出すものそれは、アルバムや写真だという話をよく耳にします。僕自身も震災を経験した際に見た「アルバムを抱えて避難する人たち」の姿は、ずっと心に残っています。
写真は、生きている限り、誰かの記憶と一緒に存在し続けるものなんだと、その価値を年を重ねるごとにより強く感じるようになりました。
特にウェディングフォトの現場では、いろんな人生に出会います。華やかな舞台の裏にある、家族の想いを感じる瞬間があります。
以前、余命を宣告されたお母様のために、一刻も早くと撮影された花嫁姿の一枚。
急いで病室に届けたことがありました。その時、「写真って、単なる記念ではない、生きる支えになるものなんだ」言葉では伝えきれない想いを届ける力を持っていることを、心から実感したんです。
僕が撮りたいのは、流行りや映えではなく、時間が経っても色褪せない一枚。20年後、30年後にふと見返したとき、じんわり心が温まるようなそんな写真です。
だからこそ、撮影を終えるたびに「もっとできたんじゃないか」と思ってしまいます。正直、今までの人生で完璧だったと思えた撮影は一度もありません。でも、だからこそ、まだまだ挑戦し続けたいんです。満足してしまったら、きっと僕がカメラを置く時だと思っています。
災害が起きたとき、人が真っ先に持ち出すものそれは、アルバムや写真だという話をよく耳にします。僕自身も震災を経験した際に見た「アルバムを抱えて避難する人たち」の姿は、ずっと心に残っています。
写真は、生きている限り、誰かの記憶と一緒に存在し続けるものなんだと、その価値を年を重ねるごとにより強く感じるようになりました。
特にウェディングフォトの現場では、いろんな人生に出会います。華やかな舞台の裏にある、家族の想いを感じる瞬間があります。
以前、余命を宣告されたお母様のために、一刻も早くと撮影された花嫁姿の一枚。
急いで病室に届けたことがありました。その時、「写真って、単なる記念ではない、生きる支えになるものなんだ」言葉では伝えきれない想いを届ける力を持っていることを、心から実感したんです。
僕が撮りたいのは、流行りや映えではなく、時間が経っても色褪せない一枚。20年後、30年後にふと見返したとき、じんわり心が温まるようなそんな写真です。
だからこそ、撮影を終えるたびに「もっとできたんじゃないか」と思ってしまいます。正直、今までの人生で完璧だったと思えた撮影は一度もありません。でも、だからこそ、まだまだ挑戦し続けたいんです。満足してしまったら、きっと僕がカメラを置く時だと思っています。
感謝を写して、生きていく
変わらない願いを胸に、これからも
今こうして写真を撮り続けられるのは、これまで関わったすべての人のおかげです。
写真の世界に飛び込むきっかけをくれた師匠。厳しい言葉をかけながらも、育ててくれた先輩たち。折れそうになったときに励ましてくれた仲間。何も言わずに見守ってくれた家族。みんなの存在が、今の自分を作ってくれました。
若い頃、ある先輩に言われた言葉があります。
「人生経験が写真の幅を広げるよ」今は、その言葉の意味がよくわかります。
辛かったことも、楽しかったことも全部、僕の写真の一部になっています。今振り返ると人間関係にも苦労しましたし、未熟でがむしゃらでしたが、今ではその時代に感謝しています。厳しい言葉ほど奮い立たされましたね。
そして、阿賀野市という土地とのご縁も、すべて流れの中で出会ったもの。地元の皆さんに温かく迎えていただきました。だからこそ、この場所で写真を通して何か恩返しができたらと思っています。マルシェや地域の催し、ボランティアなども含めて、カメラマンという枠を越えてできることが、まだまだあるんじゃないかと感じています。
写真とは、人の人生に寄り添う仕事だからこそ僕自身が幸せじゃないといい写真が撮れないと思っています。どんなときも感謝を忘れずに、誰かの心の支えになる写真を届けていきたいと思っています。それが、僕のずっと変わらない願いです。
写真の世界に飛び込むきっかけをくれた師匠。厳しい言葉をかけながらも、育ててくれた先輩たち。折れそうになったときに励ましてくれた仲間。何も言わずに見守ってくれた家族。みんなの存在が、今の自分を作ってくれました。
若い頃、ある先輩に言われた言葉があります。
「人生経験が写真の幅を広げるよ」今は、その言葉の意味がよくわかります。
辛かったことも、楽しかったことも全部、僕の写真の一部になっています。今振り返ると人間関係にも苦労しましたし、未熟でがむしゃらでしたが、今ではその時代に感謝しています。厳しい言葉ほど奮い立たされましたね。
そして、阿賀野市という土地とのご縁も、すべて流れの中で出会ったもの。地元の皆さんに温かく迎えていただきました。だからこそ、この場所で写真を通して何か恩返しができたらと思っています。マルシェや地域の催し、ボランティアなども含めて、カメラマンという枠を越えてできることが、まだまだあるんじゃないかと感じています。
写真とは、人の人生に寄り添う仕事だからこそ僕自身が幸せじゃないといい写真が撮れないと思っています。どんなときも感謝を忘れずに、誰かの心の支えになる写真を届けていきたいと思っています。それが、僕のずっと変わらない願いです。
会社情報
| 会社名略称. | photo studio moph(フォトスタジオ モフ) |
|---|---|
| 勤務先名 | photo studio moph(フォトスタジオ モフ) |
| 会社名 | photo studio moph(フォトスタジオ モフ) |
| 本社住所 | 新潟県阿賀野市外城町7-11 |
| 代表者名 | 代表 小林 佑介様 |
| 1年後〜3年後の目標 | \次世代へ夢を届ける職業体験イベントの継続/ 僕がこれからも続けていきたい取り組みのひとつが、次世代に“夢”を届ける職業体験イベントです。 もともと美容学校に通っていた仲間たちと、美容師・カメラマン・ネイリストなど、さまざまな職業の魅力を子どもたちに伝えるイベントを企画し、2024年11月には新潟市で初開催しました。 9つの職種が集まり、約300人の方々が参加してくれたこの活動には、「自分たちが若い頃に夢をもらったように、今度は自分たちが“夢を渡す側”になりたい」という想いが込められており、年に一度のイベント開催に加えて、子どもや学生向けのセミナー、さらには経営者同士が学び合える勉強会など、継続的な活動を計画しています。 |
| 新規事業・チャレンジしたいこと | \地域とつながる、写真を活かしたまちづくり/ 僕の今の活動の拠点は、新潟県阿賀野市です。 何の知識もなく移り住んだこの街でしたが、商工会に入らせていただいたことをきっかけに、地元の皆さんとあたたかなつながりが生まれました。 この土地と出会い、今は「写真を通して地域にできること」を模索しています。 写真マルシェや地域のイベントに出店したり、阿賀野市の魅力を発信するような撮影や展示企画を考えたり。また、ボランティア撮影など、カメラマンという枠を超えて地域に役立つことがまだまだたくさんあると感じています。 「この場所で出会えたご縁に、何か恩返しがしたい」 そんな想いを胸に、これからも写真を通じて、阿賀野市のあたたかさと魅力を伝えていけたらと思っています。 |
| こんな人に会いたい | 僕がこれからもっと出会っていきたいのは、「チャレンジする人」です。 上手くいくかなんてわからなくても、とにかくやってみる。失敗しても立ち上がって、また挑戦する。 そんなふうに、一歩を踏み出す勇気のある人を、僕は心から尊敬しています。 実際、僕自身も成功より失敗の方がずっと多い人生でした。でもそのたびに、「じゃあ次どうしよう?」と考えて、またチャレンジする。その繰り返しです。だからこそ、挑戦している人の姿を見ると、「よし、自分ももう一度やってみよう」と背中を押されるんです。 全く何もしないよりも、まずはやってみることに意味がある。 そう教えてくれたのは、当時よく通っていた服屋さんの、尊敬しているスタッフの言葉でした。 「三日坊主でいい。とりあえず、やってみようよ」 たとえ3日で終わってしまっても、“やってみた”という事実が、きっと次につながる。 その言葉は、今でも僕の心の中で、生き続けています。 だから、これからも「なんかおもしろそうじゃん」「とりあえずやってみようよ」って言い合えるような空気がもっと広がって、チャレンジが当たり前の世の中になっていったら、最高だなと思っています。 |
| 事業内容 | 写真家/カメラマン ブライダル・七五三・マタニティ・ファミリー・ペット・成人式・お宮詣り |
| その他 | SNSやHPもぜひご覧ください♪ ●HP https://photostudio-moph.com/ photostudio_moph |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
| 取材者名 | ㈱採用戦略研究所 小林 |
|---|---|
| 住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
| 電話番号 | 07014769740 |
| 事務所HP | https://rs-lab.jp/ |