都会から田舎へ _地域おこし協力隊で出会った生き方【代表 小林 由紀子氏】
玉繭屋/米飴屋
好奇心が私を動かす
第二の人生は、この町から
大阪出身の私がたどり着いた場所は、長岡市の栃尾だった。
それまでは、埼玉や神奈川といった関東圏で暮らしていたんですが、
いつしか_都会の暮らしに疲れてしまい、
「田舎暮らしをしてみたい…」
と、想いにかられました。
昔から山に登ることがすきでした。
だから次暮らすところは「山がある場所」がいいなと思ってました。
そんな折、ふと目にしたのが「地域おこし協力隊」の募集情報。
全国各地でいろんな地域が活動をしていて、どこも魅力的ではあったのですが、
なぜか心に引っかかったのが――新潟県長岡市栃尾の「一之貝(いちのかい)」という集落でした
一之貝での主な活動は、「農福連携」と呼ばれる取り組み。
障がいのある方たちに農作業などのお仕事を提供し、地域全体で支え合いながら暮らしていく仕組みです。
中心となるのは米づくりですが、ほかにもどぶろくの製造や農家民宿の運営など、多岐にわたる活動が行われています。
その中で、私が携わったのが「農家民宿」の仕事でした。
それまでは、埼玉や神奈川といった関東圏で暮らしていたんですが、
いつしか_都会の暮らしに疲れてしまい、
「田舎暮らしをしてみたい…」
と、想いにかられました。
昔から山に登ることがすきでした。
だから次暮らすところは「山がある場所」がいいなと思ってました。
そんな折、ふと目にしたのが「地域おこし協力隊」の募集情報。
全国各地でいろんな地域が活動をしていて、どこも魅力的ではあったのですが、
なぜか心に引っかかったのが――新潟県長岡市栃尾の「一之貝(いちのかい)」という集落でした
一之貝での主な活動は、「農福連携」と呼ばれる取り組み。
障がいのある方たちに農作業などのお仕事を提供し、地域全体で支え合いながら暮らしていく仕組みです。
中心となるのは米づくりですが、ほかにもどぶろくの製造や農家民宿の運営など、多岐にわたる活動が行われています。
その中で、私が携わったのが「農家民宿」の仕事でした。
地域おこしから見えた栃尾の歴史
蚕と出会った_次へのステージ
舞台は、築140年という立派な古民家。
この家を再生し、人が集まる場所にしていく。
そんなワクワクするようなプロジェクトから、私の地域おこし協力隊としての活動がはじまりました。
古民家を拠点に活動を始めた私は、次第に「もっと栃尾のことを知りたい」と思うようになっていきました。
日々の暮らしのなかで、地元のじいちゃんや、ばあちゃんと話す時間が楽しみのひとつだった私。
かつて一之貝では養蚕や織物が盛んで、
栃尾には、「栃尾紬(とちおつむぎ)」という織物があるということを教えてもらったんです。
「昔はどの家も蚕を飼っていたんだよ」と話すばあちゃんの言葉に、私は強く心を惹かれました。
「養蚕(ようさん)」
聞いたことはあっても、実際にどんなものなのかは知らなかった世界。
でもその話を聞いたとき、なぜか「私も蚕を育ててみたい」と思ったんです。
そこからは独学で、養蚕について少しずつ学び始めました。
けれど、蚕は生き物。
育てるには、つきっきりになる時期もあります。
今の仕事と両立できるかを考えたとき、少し立ち止まって考える必要があると感じました。
悩んだ末__地域おこし協力隊としての活動は1年で卒業し、”蚕を育てる!!”と決めたんです。
でも、それは「終わり」ではなく、新しいチャレンジへの「はじまり」だったのです。
この家を再生し、人が集まる場所にしていく。
そんなワクワクするようなプロジェクトから、私の地域おこし協力隊としての活動がはじまりました。
古民家を拠点に活動を始めた私は、次第に「もっと栃尾のことを知りたい」と思うようになっていきました。
日々の暮らしのなかで、地元のじいちゃんや、ばあちゃんと話す時間が楽しみのひとつだった私。
かつて一之貝では養蚕や織物が盛んで、
栃尾には、「栃尾紬(とちおつむぎ)」という織物があるということを教えてもらったんです。
「昔はどの家も蚕を飼っていたんだよ」と話すばあちゃんの言葉に、私は強く心を惹かれました。
「養蚕(ようさん)」
聞いたことはあっても、実際にどんなものなのかは知らなかった世界。
でもその話を聞いたとき、なぜか「私も蚕を育ててみたい」と思ったんです。
そこからは独学で、養蚕について少しずつ学び始めました。
けれど、蚕は生き物。
育てるには、つきっきりになる時期もあります。
今の仕事と両立できるかを考えたとき、少し立ち止まって考える必要があると感じました。
悩んだ末__地域おこし協力隊としての活動は1年で卒業し、”蚕を育てる!!”と決めたんです。
でも、それは「終わり」ではなく、新しいチャレンジへの「はじまり」だったのです。
挑戦し続ける先に出会えたもの
偶然の出会いが新しい挑戦になった
養蚕の合間に、実はもうひとつ、新しい挑戦を始めていたんです。
蚕を育てるのは春から秋にかけての季節限定。
冬の間はどうしても仕事がなくなってしまう…。
でも、暮らしていくにはやっぱり収入源が必要です。
「冬の間にもできることはないかな」__そんな思いでいたとき、養蚕のご縁から訪れた福島で、ある出会いがありました。
それが、「米飴(こめあめ)」です。
米飴とは、もち米と麦芽(ばくが)からつくられる自然の甘味料。
昔は砂糖が貴重だった時代、和菓子屋さんや家庭でも当たり前に使われていたそうです。
現代ではあまり見かけなくなりましたが、素朴でやさしい甘さが心に残りました。
福島で出会ったおばあちゃんたちに、ざっくりとしたレシピを教えてもらったのがきっかけで、
「自分でもつくってみたい」と思うように。
そこから米飴についていろいろと調べていく中で、静岡の大学の先生が出されている論文に出会いました。
その研究を参考にしながら、自分なりのレシピを少しずつかたちにしていきました。
試作を重ねて、気がつけば約3か月後には販売できるまでに。
そして、何より驚いたのが――
栃尾の“半蔵金”(旧田代集落)という地域でつくられているお米「梅三郎(うめさぶろう)」を使った米飴が、本当に格別においしかったこと。
そんな幻のお米を作ってみたいと思うようになりました。
蚕を育てるのは春から秋にかけての季節限定。
冬の間はどうしても仕事がなくなってしまう…。
でも、暮らしていくにはやっぱり収入源が必要です。
「冬の間にもできることはないかな」__そんな思いでいたとき、養蚕のご縁から訪れた福島で、ある出会いがありました。
それが、「米飴(こめあめ)」です。
米飴とは、もち米と麦芽(ばくが)からつくられる自然の甘味料。
昔は砂糖が貴重だった時代、和菓子屋さんや家庭でも当たり前に使われていたそうです。
現代ではあまり見かけなくなりましたが、素朴でやさしい甘さが心に残りました。
福島で出会ったおばあちゃんたちに、ざっくりとしたレシピを教えてもらったのがきっかけで、
「自分でもつくってみたい」と思うように。
そこから米飴についていろいろと調べていく中で、静岡の大学の先生が出されている論文に出会いました。
その研究を参考にしながら、自分なりのレシピを少しずつかたちにしていきました。
試作を重ねて、気がつけば約3か月後には販売できるまでに。
そして、何より驚いたのが――
栃尾の“半蔵金”(旧田代集落)という地域でつくられているお米「梅三郎(うめさぶろう)」を使った米飴が、本当に格別においしかったこと。
そんな幻のお米を作ってみたいと思うようになりました。
一歩ずつ栃尾で夢を育てていく
思いが動けば、道は開ける
ここまでお話してきたように、私はいろいろなことに挑戦してきました。
農家民宿の運営、養蚕や米飴作り……
でも、この町にやってきた最初の私は、まぎれもなく“よそ者”でした。
地元のことを何も知らず、顔見知りもいない。右も左もわからないまま、
ただ「ここで暮らしてみたい」という想いだけでやってきた私を、あたたかく迎えてくれたのが、この町の人たちでした。
そんな中で、ずっと心の中にあった「米作りをやってみたい」という夢が、少しずつ現実になっていきました。
きっかけは、地域の方からかけてもらった一言でした。
「米、作ってみるか?」
その言葉が本当にうれしくて、「いつかやってみたい」と思っていた米作りに、ついに挑戦できるんだ…と心が弾みました。
今は、田植えの準備をしているところ。
まだ始まったばかりですが、自分の手で育てたお米を収穫する日を想像すると、自然と背筋が伸びます。
そしてそのお米で、米飴を作る__そんな夢も、少しずつ近づいてきている気がしています。
“よそ者”だった私が、少しずつ町の営みに関わり、夢だった米作りまでできるようになった今、思うことがあります。
この町の魅力を、もっと多くの人に知ってほしい。
そして、私なりの方法で、この場所の未来に貢献していきたい__そんな気持ちが、日々強くなっているのです。
この町とともに、私の挑戦は、これからも育っていきます。
農家民宿の運営、養蚕や米飴作り……
でも、この町にやってきた最初の私は、まぎれもなく“よそ者”でした。
地元のことを何も知らず、顔見知りもいない。右も左もわからないまま、
ただ「ここで暮らしてみたい」という想いだけでやってきた私を、あたたかく迎えてくれたのが、この町の人たちでした。
そんな中で、ずっと心の中にあった「米作りをやってみたい」という夢が、少しずつ現実になっていきました。
きっかけは、地域の方からかけてもらった一言でした。
「米、作ってみるか?」
その言葉が本当にうれしくて、「いつかやってみたい」と思っていた米作りに、ついに挑戦できるんだ…と心が弾みました。
今は、田植えの準備をしているところ。
まだ始まったばかりですが、自分の手で育てたお米を収穫する日を想像すると、自然と背筋が伸びます。
そしてそのお米で、米飴を作る__そんな夢も、少しずつ近づいてきている気がしています。
“よそ者”だった私が、少しずつ町の営みに関わり、夢だった米作りまでできるようになった今、思うことがあります。
この町の魅力を、もっと多くの人に知ってほしい。
そして、私なりの方法で、この場所の未来に貢献していきたい__そんな気持ちが、日々強くなっているのです。
この町とともに、私の挑戦は、これからも育っていきます。
会社情報
| 会社名略称. | 玉繭屋/米飴屋 |
|---|---|
| 勤務先名 | 玉繭屋 |
| 本社住所 | 新潟県見附市熱田町312‐3 |
| 代表者名 | 代表 小林 由紀子様 |
| 1年後〜3年後の目標 | 地域おこし協力隊としてこの町に来た私ですが、 今では、この町の未来に、自分の力をどう生かせるかを考えるようになりました。 今度は、これからこの町に関わる“誰か”の力になりたい。 |
| 新規事業・チャレンジしたいこと | \チャレンジしていること/ 最近では「稚蚕(ちさん)」と呼ばれる小さな蚕(かいこ)を配る取り組みもしています。 小学生の男の子に人気で夏休みの自由研究として、地域の子どもたちに蚕を育ててもらったこともあります。 とはいえ、蚕はとても手がかかる生きもの。 1か月で繭になるのですが、前半の2週間は私が育てて、後半の2週間を子どもたちにお願いするかたちにしています。 この取り組みがきっかけとなり、栃尾の東谷小学校で「蚕の授業」をさせていただく機会もできました。 東谷小学校では蛍の飼育も行っていて、いのちを育てる教育がとても大切にされています。 私自身は、「ぼこさま愛好会」という名前で活動していて、養蚕や米飴づくりなどを通して、地域と子どもたちをつなぐチャレンジを続けています。 |
| こんな人に会いたい | 若いエネルギーを持った人と出会い、コラボしながら、 その人の「やってみたい」を一緒に形にしていけたらと思っています。 たとえば――米飴づくりに関わってもらいながら、 その人の夢や得意なことも活かせるような関係ができたらうれしいです。 地域に根ざしながら、未来を一緒に作っていく。 そんな仲間と出会える日を、楽しみにしています。 |
| 事業内容 | 養蚕・米飴作り |
| メッセージ | 《米飴販売情報》 現在は「道の駅 R290とちお」にて販売しています。 味は、プレーン・ゆず・しょうがの3種類になってます。 ヨーグルトにかけて食べても美味しいですし、お砂糖の代わりにお料理(煮物・スイーツなど)に使っても美味しいです。 栃尾にお立ち寄りの際は、ぜひ手に取ってみてください!! |
| その他 | Instagramにて情報発信中!! tamamayuya(玉繭屋) komeameya(米飴屋) |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。