新潟の土地を知り尽くし、自然の面白さを伝えたい。【代表 有本 大樹氏】
株式会社 IRC
極めたいが原動力に。
「極めたい」気持ちが、道を拓いた
株式会社IRCという社名は、地元の「五十嵐川(I)」「ラフティング(R)」「カンパニー(C)」に由来しています。
起業の原点は、僕自身の“外遊び”好き。もともとキャンプのインストラクターとして、自然の中でテントを張り、料理をして……そんな非日常の空間に魅せられてきました。楽しんでいるうちに「もっと極めたい」と思うようになったんです。
ある日、キャンプ体験に来たお客様の中で、やけにロープワークの上手な方がいて。声をかけると「実は消防士なんです」と。
それがきっかけで、消防士の方から「ロープ講習に来てみないか」と誘われ、参加してみたら、
ライセンス取得まで目指せる本格的な講習で――そこから、僕のフィールドがどんどん変わっていきました。
やがて「Rescue3」という救助技術にも出会います。
これは「ロープ」「急流救助」「ヘリ救助」の三位一体のスキル。
僕はもともと水泳のインストラクター経験もあったので、水に対する抵抗もなかったんです。
そして、忘れられないのが「7.13水害」。
ボランティアとして参加しましたが、実際には何もできなかった――悔しかったですね。
Rescue3の中でも水難救助には、自然と引き寄せられるような感覚がありました。
「次は急流救助だな」と仲間に言われ、見よう見まねで練習を重ね、ライセンスも取得しました。
ライセンス取得後、仲間と五十嵐川での訓練をスタートしました。
ボートを使って何度も川を下りながら、実践的な技術を磨いていたある日――
地元の方が声をかけてくれたんです。
「君たちの活動を、観光の一環として形にしてみないか?」
そのひと言が、僕の人生を大きく動かしました。
こうして、五十嵐川から“ラフティング”という新しい挑戦が始まったんです。
起業の原点は、僕自身の“外遊び”好き。もともとキャンプのインストラクターとして、自然の中でテントを張り、料理をして……そんな非日常の空間に魅せられてきました。楽しんでいるうちに「もっと極めたい」と思うようになったんです。
ある日、キャンプ体験に来たお客様の中で、やけにロープワークの上手な方がいて。声をかけると「実は消防士なんです」と。
それがきっかけで、消防士の方から「ロープ講習に来てみないか」と誘われ、参加してみたら、
ライセンス取得まで目指せる本格的な講習で――そこから、僕のフィールドがどんどん変わっていきました。
やがて「Rescue3」という救助技術にも出会います。
これは「ロープ」「急流救助」「ヘリ救助」の三位一体のスキル。
僕はもともと水泳のインストラクター経験もあったので、水に対する抵抗もなかったんです。
そして、忘れられないのが「7.13水害」。
ボランティアとして参加しましたが、実際には何もできなかった――悔しかったですね。
Rescue3の中でも水難救助には、自然と引き寄せられるような感覚がありました。
「次は急流救助だな」と仲間に言われ、見よう見まねで練習を重ね、ライセンスも取得しました。
ライセンス取得後、仲間と五十嵐川での訓練をスタートしました。
ボートを使って何度も川を下りながら、実践的な技術を磨いていたある日――
地元の方が声をかけてくれたんです。
「君たちの活動を、観光の一環として形にしてみないか?」
そのひと言が、僕の人生を大きく動かしました。
こうして、五十嵐川から“ラフティング”という新しい挑戦が始まったんです。
命を預かる仕事だからこそ、信頼を積み重ねて
毎日、真剣勝負
ラフティングという仕事には、ワクワクする非日常の裏に、常に“リスク”が潜んでいます。
だからこそ、僕たちは誰よりも川を知り、誰よりもレスキューを学び、誰よりも「安全」に向き合わなければいけない。
来られるお客様の多くは初心者。最初は体がこわばっていて、ちょっとした衝撃でも川に落ちることがあります。
そんな状態でも安心して飛び込んでもらえるように――僕たちに「命を預けてもらえる存在」になることが、一番大事なんです。
川の流れは毎日変わる。昨日と同じルートが、今日も通れるとは限らない。
だから、万が一を常に想定して動きながら、それでも「楽しかった!また来たい!」と思ってもらえる体験をつくる。
レスキューの判断、ボートの操作、空気づくり、すべてを一人でこなすこともあります。
そしてゴールしたとき、ようやく「この人、信用できるな」と思ってもらえる。
その瞬間が、僕たちのやりがいなんです。
始めたばかりの頃は、年間300人ほどだったお客様も、今では1300人を超えるまでに。
観光地ではない場所での挑戦に、三条市長をはじめ、地元の方々が後押ししてくれたことも大きな力になりました。
でも、ラフティングの道は、決して平坦ではありませんでした。
猛暑の夏、アブが大量発生した年がありました。
水がきれいな場所にはつきものとはいえ、「刺しバエ」という人に向かってくる種類のアブが発生したんです。
8月は稼ぎどき。キャンセルなんてしたくない。何より、楽しみにしてくれていた人たちに申し訳ない。
そこで、思い切って下流の信濃川に場所を移し、ラフティングではなく「SUP(サップ)」という新しい体験に切り替えました。
暑さを活かし、危険を回避し、それでも笑顔を届ける方法を――自分たちで探しました。
ようやく形になってきた矢先、また壁が立ちはだかります。
コロナ前から、地元の小・中学校と連携し、五十嵐川の魅力を伝える活動に取り組んできました。その一環として、川での体験を盛り込んだ課外授業も立ち上がり、教育の現場と連動した取り組みが始まっていたんです。
ところが、全国ニュースで水難事故(※別地域・別内容)が報じられたことで、団体予約が一斉にキャンセルに。
場所も内容も違う。それでも「水の事故」への不安だけが広がり、僕たちが積み重ねてきた信頼が、音を立てて崩れていく感覚でした。
「このままじゃ、終われない」。
そう思った瞬間から、また新たな挑戦が始まりました。
五十嵐川で育ててきたものを、川の外へと広げていくこと。
だからこそ、僕たちは誰よりも川を知り、誰よりもレスキューを学び、誰よりも「安全」に向き合わなければいけない。
来られるお客様の多くは初心者。最初は体がこわばっていて、ちょっとした衝撃でも川に落ちることがあります。
そんな状態でも安心して飛び込んでもらえるように――僕たちに「命を預けてもらえる存在」になることが、一番大事なんです。
川の流れは毎日変わる。昨日と同じルートが、今日も通れるとは限らない。
だから、万が一を常に想定して動きながら、それでも「楽しかった!また来たい!」と思ってもらえる体験をつくる。
レスキューの判断、ボートの操作、空気づくり、すべてを一人でこなすこともあります。
そしてゴールしたとき、ようやく「この人、信用できるな」と思ってもらえる。
その瞬間が、僕たちのやりがいなんです。
始めたばかりの頃は、年間300人ほどだったお客様も、今では1300人を超えるまでに。
観光地ではない場所での挑戦に、三条市長をはじめ、地元の方々が後押ししてくれたことも大きな力になりました。
でも、ラフティングの道は、決して平坦ではありませんでした。
猛暑の夏、アブが大量発生した年がありました。
水がきれいな場所にはつきものとはいえ、「刺しバエ」という人に向かってくる種類のアブが発生したんです。
8月は稼ぎどき。キャンセルなんてしたくない。何より、楽しみにしてくれていた人たちに申し訳ない。
そこで、思い切って下流の信濃川に場所を移し、ラフティングではなく「SUP(サップ)」という新しい体験に切り替えました。
暑さを活かし、危険を回避し、それでも笑顔を届ける方法を――自分たちで探しました。
ようやく形になってきた矢先、また壁が立ちはだかります。
コロナ前から、地元の小・中学校と連携し、五十嵐川の魅力を伝える活動に取り組んできました。その一環として、川での体験を盛り込んだ課外授業も立ち上がり、教育の現場と連動した取り組みが始まっていたんです。
ところが、全国ニュースで水難事故(※別地域・別内容)が報じられたことで、団体予約が一斉にキャンセルに。
場所も内容も違う。それでも「水の事故」への不安だけが広がり、僕たちが積み重ねてきた信頼が、音を立てて崩れていく感覚でした。
「このままじゃ、終われない」。
そう思った瞬間から、また新たな挑戦が始まりました。
五十嵐川で育ててきたものを、川の外へと広げていくこと。
事業が傾きかけたとき、僕は“手を動かすこと”を選んだ
動かなきゃ始まらない
ラフティングは自然が相手。季節や社会情勢に左右される仕事です。
特に団体予約が一気にキャンセルされたあのとき、「このままでは立ち行かなくなる」と感じました。
迷っている余裕はない。次の一手を考える必要がありました。
そんな中でふと思い出したのが、マルシェなどで“キャンプ飯”の出店をしていた頃のこと。
もともと料理は好きで、人にふるまうことにもやりがいを感じていた。
「いつか自分の店を持てたらいいな」という思いも、実はずっと胸の中にあったんです。
ラフティングの苦しい状況をきっかけに、「今やるしかない」と腹を決めて、飲食の挑戦を始めました。
出店の話が舞い込んできたのも偶然ではなく、常に動き続けていたからこそ。準備からオープンまではわずか1か月。
バタバタでしたが、やると決めたら動くのみです。
それが、「おにぎり屋 かみむすび」。
忙しい日常の中でも片手でさっと食べられるものはなにか?“おにぎり”だ。
僕の性格上、中途半端なことはできない。
「おにぎりを出すなら、とことんこだわりたい」――そう思い、まずは“握り方”を学び直しました。
力が強すぎても弱すぎてもダメ。
師匠が握るふんわりとしつつくずれにくいおにぎり。
その手の感覚をつかむため、毎日何度も練習しました。
「おにぎりひとつに、ここまでやるのか」と思われるかもしれませんが、それくらい本気でした。
オープン直後は、まずまずの滑り出し。
けれど、やがて売上は伸び悩みはじめ、また新たな壁にぶつかりました。
そんな時にいただいたのが、“セントラルキッチン”を設けようというお話。
これをきっかけに、田上町に「かみむすびのキッチン」を立ち上げることにしたんです。
田上という土地に拠点ができたことは大きな転機でした。
「ここで、もう一度やり直そう」。
そう覚悟を決めて、また一から試行錯誤の日々が始まったんです。
特に団体予約が一気にキャンセルされたあのとき、「このままでは立ち行かなくなる」と感じました。
迷っている余裕はない。次の一手を考える必要がありました。
そんな中でふと思い出したのが、マルシェなどで“キャンプ飯”の出店をしていた頃のこと。
もともと料理は好きで、人にふるまうことにもやりがいを感じていた。
「いつか自分の店を持てたらいいな」という思いも、実はずっと胸の中にあったんです。
ラフティングの苦しい状況をきっかけに、「今やるしかない」と腹を決めて、飲食の挑戦を始めました。
出店の話が舞い込んできたのも偶然ではなく、常に動き続けていたからこそ。準備からオープンまではわずか1か月。
バタバタでしたが、やると決めたら動くのみです。
それが、「おにぎり屋 かみむすび」。
忙しい日常の中でも片手でさっと食べられるものはなにか?“おにぎり”だ。
僕の性格上、中途半端なことはできない。
「おにぎりを出すなら、とことんこだわりたい」――そう思い、まずは“握り方”を学び直しました。
力が強すぎても弱すぎてもダメ。
師匠が握るふんわりとしつつくずれにくいおにぎり。
その手の感覚をつかむため、毎日何度も練習しました。
「おにぎりひとつに、ここまでやるのか」と思われるかもしれませんが、それくらい本気でした。
オープン直後は、まずまずの滑り出し。
けれど、やがて売上は伸び悩みはじめ、また新たな壁にぶつかりました。
そんな時にいただいたのが、“セントラルキッチン”を設けようというお話。
これをきっかけに、田上町に「かみむすびのキッチン」を立ち上げることにしたんです。
田上という土地に拠点ができたことは大きな転機でした。
「ここで、もう一度やり直そう」。
そう覚悟を決めて、また一から試行錯誤の日々が始まったんです。
苦境の中でも、道はある。
何度でも立ち上がる“かみむすび”の挑戦
田上町に「かみむすび」のキッチンを構えてからも、順風満帆というわけにはいきませんでした。
最初に出店していた店舗は閉め、田上のお店一本に絞る決断をしましたが、赤字は簡単には解消されず……。
「どうにか売り上げを上げなければ」。その一心で、動き始めました。
ヒントを探しに足を運んだのは東京。
いくつものおにぎり屋を見て回ったところ、駅構内などを除けば、“おにぎり単体”で勝負している店はほとんどなかった。
多くのお店が、おにぎりを定食の一部として提供していたんです。
「だったら、うちも定食を出してみよう」
そうして誕生したのが、新メニュー『かみむすび御膳』。
おにぎりと副菜、豚汁をセットにした、満足感ある一膳に仕上げました。
でも、新メニューを出したからといって、すぐにお客様が来るわけじゃない。
どう売っていくか、どう知ってもらうか。悩んでいたとき、ひとりの友人が力を貸してくれました。
「かみむすびは、絶対になくしてほしくない。どうやったら売れるか、考えるからちょっと待ってて」
そう言って、友人が動いてくれたんです。
店舗の内装を変えてリニューアルし、友人のつながりでインフルエンサーの方々と出会うことができました。
SNSでお店を紹介してもらったところ、まさに“ドカーン”と反響が来た。
一気に人が押し寄せ、売り上げはついに目標を超えるまでに。
「インフルエンサーの力って、本当にすごい」
その影響は一度きりで終わらず、来店者が来店者を呼ぶ“連鎖”が生まれたんです。
いまでは、売り上げも安定し、土日にはお待たせしてしまうほどの行列ができるようになりました。
もちろん、ありがたいことです。でも、お客様を長くお待たせすることには心苦しさもあります。
より多くの方から来ていただきたいので、今もよい策をさがし途中。
何度つまずいても、何度でも立ち上がる。
“かみむすび”の挑戦は、まだまだ続いています。
最初に出店していた店舗は閉め、田上のお店一本に絞る決断をしましたが、赤字は簡単には解消されず……。
「どうにか売り上げを上げなければ」。その一心で、動き始めました。
ヒントを探しに足を運んだのは東京。
いくつものおにぎり屋を見て回ったところ、駅構内などを除けば、“おにぎり単体”で勝負している店はほとんどなかった。
多くのお店が、おにぎりを定食の一部として提供していたんです。
「だったら、うちも定食を出してみよう」
そうして誕生したのが、新メニュー『かみむすび御膳』。
おにぎりと副菜、豚汁をセットにした、満足感ある一膳に仕上げました。
でも、新メニューを出したからといって、すぐにお客様が来るわけじゃない。
どう売っていくか、どう知ってもらうか。悩んでいたとき、ひとりの友人が力を貸してくれました。
「かみむすびは、絶対になくしてほしくない。どうやったら売れるか、考えるからちょっと待ってて」
そう言って、友人が動いてくれたんです。
店舗の内装を変えてリニューアルし、友人のつながりでインフルエンサーの方々と出会うことができました。
SNSでお店を紹介してもらったところ、まさに“ドカーン”と反響が来た。
一気に人が押し寄せ、売り上げはついに目標を超えるまでに。
「インフルエンサーの力って、本当にすごい」
その影響は一度きりで終わらず、来店者が来店者を呼ぶ“連鎖”が生まれたんです。
いまでは、売り上げも安定し、土日にはお待たせしてしまうほどの行列ができるようになりました。
もちろん、ありがたいことです。でも、お客様を長くお待たせすることには心苦しさもあります。
より多くの方から来ていただきたいので、今もよい策をさがし途中。
何度つまずいても、何度でも立ち上がる。
“かみむすび”の挑戦は、まだまだ続いています。
経験も人脈も、すべてがつながった集大成
それが「ARLY LOCATION」
実はもうひとつ、僕が今力を入れている事業があります。
これまでやってきたことの全部が詰まっていて、「これこそ、自分の集大成なんじゃないか」と思っているんです。
できることなら――全国の人に知ってほしいくらい(笑)
その名も、ARLY LOCATION(アーリーロケーション)。
映画、CM、ドラマ、バラエティなどの撮影現場のロケーション手配や制作サポートを行う事業です。
たとえば、雪山でスノーモービルを使って野生動物の撮影を行う。
普通なら難しいような現場も、僕の周りには特殊技術を持った仲間たちがたくさんいて、僕自身もスキルを持っている。
「これ、できるかも」ってことが、本当に“できる”んです。
制作する側にとって煩雑で手間のかかる部分も、自分たちでまとめて手配できる体制があります。
現場の安全管理が求められるなら、レスキュー経験や川の知識を持つ僕の出番。
つまり、あらゆる現場の“窓口”になれるということ。
人と人、スキルと現場、行政と制作――その“横のつながり”が、ひとつの事業として機能しているんです。
もともとは、ラフティングをメディアで取り上げてもらったことがきっかけでした。
そこで出会った制作関係の方から「こんな撮影できないかな?」と相談されたのが始まり。
「それ、自分にできるじゃん」と気づいた瞬間でした。
ARLY LOCATIONは、株式会社IRCの事業のひとつ。
ラフティングやアウトドアの経験、仲間とのつながり、インストラクターとして積み重ねた技術――
すべてを活かして動かせるからこそ、僕にしかできない仕事だと思っています。
「趣味=特技」
それがカタチになった会社。
これまでのすべてが、今ここで生きている――まさに、僕にとっての集大成です。
これまでやってきたことの全部が詰まっていて、「これこそ、自分の集大成なんじゃないか」と思っているんです。
できることなら――全国の人に知ってほしいくらい(笑)
その名も、ARLY LOCATION(アーリーロケーション)。
映画、CM、ドラマ、バラエティなどの撮影現場のロケーション手配や制作サポートを行う事業です。
たとえば、雪山でスノーモービルを使って野生動物の撮影を行う。
普通なら難しいような現場も、僕の周りには特殊技術を持った仲間たちがたくさんいて、僕自身もスキルを持っている。
「これ、できるかも」ってことが、本当に“できる”んです。
制作する側にとって煩雑で手間のかかる部分も、自分たちでまとめて手配できる体制があります。
現場の安全管理が求められるなら、レスキュー経験や川の知識を持つ僕の出番。
つまり、あらゆる現場の“窓口”になれるということ。
人と人、スキルと現場、行政と制作――その“横のつながり”が、ひとつの事業として機能しているんです。
もともとは、ラフティングをメディアで取り上げてもらったことがきっかけでした。
そこで出会った制作関係の方から「こんな撮影できないかな?」と相談されたのが始まり。
「それ、自分にできるじゃん」と気づいた瞬間でした。
ARLY LOCATIONは、株式会社IRCの事業のひとつ。
ラフティングやアウトドアの経験、仲間とのつながり、インストラクターとして積み重ねた技術――
すべてを活かして動かせるからこそ、僕にしかできない仕事だと思っています。
「趣味=特技」
それがカタチになった会社。
これまでのすべてが、今ここで生きている――まさに、僕にとっての集大成です。
会社情報
会社名略称. | 株式会社 IRC |
---|---|
勤務先名 | 株式会社 IRC |
本社住所 | 新潟県加茂市寿町9‐3 |
代表者名 | 代表取締役 有本 大樹様 |
新規事業・チャレンジしたいこと | \広めていきたい/ ラフティングの楽しさも、ほかの事業の魅力も、もっと多くの人に届けていきたい。 「かみむすび」のおにぎりも、ただの食事じゃなく、食べる人の心を元気にできる存在でありたいと思っています。 米離れが進む今だからこそ――あらためて、お米の底力を信じて、届けていきたい。 |
こんな人に会いたい | \とにかく”人”と出会いたい/ いろんな人に、いろんな人生があって、 それぞれの経験や価値観に触れるたびに、自分の中の世界が広がっていく気がします。 誰かと話すことで気づけることがある。 言葉を交わす中で、自分の考えが整理されたり、新しい視点にハッとさせられたりする瞬間がある。 だからこそ、もっとたくさんの人と出会いたい。話したい。学びたい。 人生って、きっと最後まで“学び”なんですよね。 |
事業内容 | ラフティング事業・飲食業・ロケーションスーパーバイザー・官公庁対象装備品開発、製造、販売・ドローン空撮・防犯、監視カメラ設置 |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
取材者名 | ㈱採用戦略研究所 土田 |
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住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
電話番号 | 070‐6433‐5645 |
事務所HP | https://rs-lab.jp |