社員と共に成長し、未来をデザインする__人と地域の幸せのために。【代表 村上敦子氏】
株式会社ネオス
一人で始めたからこそ
ご縁がつないだNEOSとの道
私はもともとデザインを学んだ人間ではなく、広告代理店に勤めていました。結婚を機に退職し、主人の仕事の関係でドイツに1年間暮らした後、帰国して子育てをしながら“一人で仕事”を始めました。
ちょうどその頃、長岡市周辺では市町村合併にともない“閉町閉村”が相次ぎ、町役場から『何か記念に残したい』というご相談をいただきました。
最初に越路町から閉町記念の映像制作のご依頼を頂き、それが山古志や与板へとつながっていきました。そのときカメラマンや制作をお願いしたのが、のちにご縁をいただくネオスであり、現在の山本会長でした。
その後、中越地震が発生。復興に向けた住民会議や計画づくりに携わり、その記録をまとめる冊子の制作を通して地域と深く関わりました。
仕事の幅が広がり、一人では限界を感じ始めていた頃、ネオスに入社するきっかけをくださったのが会長からのお声がけでした。デザイナーとして長く社員を引っ張ってこられた会長は、私が役員になる際も「頑張ってほしい」と背中を押してくださいました。その後、長岡造形大学の教授に就任された際には会社を離れましたが、退官後には再び戻られ、今は社員の成長を温かく見守ってくださっています。私自身、ネオスに入ってから、こうして会長としっかりお話を重ねられるようになり、日々その背中から多くを学ばせていただいています。
デザインは単に“見た目を整える”ものではなく、企業や商品の価値を社会へ伝え、未来を描くための大切なツールです。私はこれまで培ってきた経験に加え、“女性だからこそ気づける視点”を取り入れて、ネオスをさらに進化させていきたい。そう思い、血縁ではない“継承者”として社長を務めることを決意しました。
ちょうどその頃、長岡市周辺では市町村合併にともない“閉町閉村”が相次ぎ、町役場から『何か記念に残したい』というご相談をいただきました。
最初に越路町から閉町記念の映像制作のご依頼を頂き、それが山古志や与板へとつながっていきました。そのときカメラマンや制作をお願いしたのが、のちにご縁をいただくネオスであり、現在の山本会長でした。
その後、中越地震が発生。復興に向けた住民会議や計画づくりに携わり、その記録をまとめる冊子の制作を通して地域と深く関わりました。
仕事の幅が広がり、一人では限界を感じ始めていた頃、ネオスに入社するきっかけをくださったのが会長からのお声がけでした。デザイナーとして長く社員を引っ張ってこられた会長は、私が役員になる際も「頑張ってほしい」と背中を押してくださいました。その後、長岡造形大学の教授に就任された際には会社を離れましたが、退官後には再び戻られ、今は社員の成長を温かく見守ってくださっています。私自身、ネオスに入ってから、こうして会長としっかりお話を重ねられるようになり、日々その背中から多くを学ばせていただいています。
デザインは単に“見た目を整える”ものではなく、企業や商品の価値を社会へ伝え、未来を描くための大切なツールです。私はこれまで培ってきた経験に加え、“女性だからこそ気づける視点”を取り入れて、ネオスをさらに進化させていきたい。そう思い、血縁ではない“継承者”として社長を務めることを決意しました。
トータルコミュニケーションを軸に広がる業務
聞くことから始まるデザインの本質
私たちネオスの業務は、一言でまとめると“トータルコミュニケーション”です。企業のブランドは社名や理念といった根幹から始まり、それが社員さんに浸透しているか、外部に正しく認知されているか──。その橋渡しをお手伝いするのが、私たちの役割です。
具体的には、企業のWEBサイトやシンボルマークの制作、商品開発、パッケージデザインといった分野を幅広く手掛けています。
最近では建築分野にも挑戦しており、ショールームや建物に機能性を持たせた基本計画から、完成まで監修として関わらせていただいています。
本来は一級建築士の資格が必要な領域ですが、私たちはデザインの視点から空間づくりをサポートし、より魅力的な場を生み出しているんです。
ネオスは創業35年。私が入社してから約15年になりますが、当時はグラフィックデザインが中心で、チラシ制作などがメインの時代でした。
その後WEBが加わり、今では建築や学会関連のポスター、動画制作まで、デザインを全般的に手掛ける体制へと進化しました。
その結果、デザイナーのディレクション力も大きく成長し、より高度な案件に挑戦できるようになっています。
外注のライターさんやカメラマンさんなど10数名とも連携しながら、プランナー、ディレクター、デザイナーがチームとなり、得意分野を活かしてプロジェクトを進めています。ときには“何でもできる”オールラウンダーな人材が力を発揮することもあります。
大切にしているのは、お客様から「WEBサイトを作りたい」と依頼を受けたときも、その目的や背景を丁寧にヒアリングすること。
そこにデザイナーも同席し、一緒に聞くことで、お客様の本質的な課題に寄り添えるチームづくりを心がけています。
具体的には、企業のWEBサイトやシンボルマークの制作、商品開発、パッケージデザインといった分野を幅広く手掛けています。
最近では建築分野にも挑戦しており、ショールームや建物に機能性を持たせた基本計画から、完成まで監修として関わらせていただいています。
本来は一級建築士の資格が必要な領域ですが、私たちはデザインの視点から空間づくりをサポートし、より魅力的な場を生み出しているんです。
ネオスは創業35年。私が入社してから約15年になりますが、当時はグラフィックデザインが中心で、チラシ制作などがメインの時代でした。
その後WEBが加わり、今では建築や学会関連のポスター、動画制作まで、デザインを全般的に手掛ける体制へと進化しました。
その結果、デザイナーのディレクション力も大きく成長し、より高度な案件に挑戦できるようになっています。
外注のライターさんやカメラマンさんなど10数名とも連携しながら、プランナー、ディレクター、デザイナーがチームとなり、得意分野を活かしてプロジェクトを進めています。ときには“何でもできる”オールラウンダーな人材が力を発揮することもあります。
大切にしているのは、お客様から「WEBサイトを作りたい」と依頼を受けたときも、その目的や背景を丁寧にヒアリングすること。
そこにデザイナーも同席し、一緒に聞くことで、お客様の本質的な課題に寄り添えるチームづくりを心がけています。
小さな仕事も大きな仕事も、大切にできる会社へ
社長になってからの思い
私はとにかく社員が大好きなんです。もちろん、これまで会長が培ってきた思いも大切に受け継いでいますが、私が社長として意識してきたのは“会社を組織としてしっかりと育てていくこと”。ネオスがこれからもっと大きく成長していくためには、社員が幸せであること、そして社員の家族にも安心してもらえることが一番の願いです。
社員のモチベーションを高めるためには、まずは私たちビジネスソリューション部が“お客様を大切にする姿勢”を見せることが必要だと思っています。
小さな仕事も大きな仕事も、同じように価値のあるものとして向き合う。それがやがてデザイナーに伝わり、仕事に対する姿勢へとつながっていきます。
名刺のデザインであっても、建築のプロジェクトであっても、どちらも大切にできる企業文化を築きたいと考えています。
また、私は“デザイナーの顔が見える会社”でありたいと思っています。だからこそ、なるべくデザイナー自身が直接お客様のもとへ足を運び、対話を重ねるようにしているんです。デザインは専門性が高い仕事だからこそ、お客様も“専門職の人と直接話すことで安心できる”。
私たちが間に入って伝えるだけでは限界がありますし、デザイナー自身が関わることで、お客様との距離も縮まり、互いに“好きになれる関係”が育まれていくんです。
社員の存在こそがネオスの強さであり、私が社長として一番大切にしている部分です。
社員のモチベーションを高めるためには、まずは私たちビジネスソリューション部が“お客様を大切にする姿勢”を見せることが必要だと思っています。
小さな仕事も大きな仕事も、同じように価値のあるものとして向き合う。それがやがてデザイナーに伝わり、仕事に対する姿勢へとつながっていきます。
名刺のデザインであっても、建築のプロジェクトであっても、どちらも大切にできる企業文化を築きたいと考えています。
また、私は“デザイナーの顔が見える会社”でありたいと思っています。だからこそ、なるべくデザイナー自身が直接お客様のもとへ足を運び、対話を重ねるようにしているんです。デザインは専門性が高い仕事だからこそ、お客様も“専門職の人と直接話すことで安心できる”。
私たちが間に入って伝えるだけでは限界がありますし、デザイナー自身が関わることで、お客様との距離も縮まり、互いに“好きになれる関係”が育まれていくんです。
社員の存在こそがネオスの強さであり、私が社長として一番大切にしている部分です。
会長の志を未来へつなぐ
志を受け継ぎながらの葛藤と成長
私たちの会社は“地域ブランドの未来をつくる、デザインの力ですべての人を幸せにする”という想いを掲げています。お客様からいただいたお仕事を通じて、その企業が未来を築いていけるようなお手伝いをしたい。そして企業様を通じて消費者の方々にその価値が届き、最終的に皆さんの幸せにつながれば──それが私の願いです。
私自身、若い頃から“ロールモデルを持つこと”を大切にしてきました。人の良いところを真似して学び、自分を成長させていくタイプなんです。特に影響を受けたのが、“江戸しぐさ”を広めていた先生から学んだこと。人や社会に喜びを届ける姿勢は、今の私の経営観にも強く根づいています。
ただ、継承してからは葛藤もありました。会長がデザイナーとして第一線で会社を引っ張ってきた存在であり、社員にとっても尊敬すべき大きな背中でした。一方で、私はプランナーという立場から会社を受け継いだため、同じ視点や経験を持ち合わせていない分、どうしても社員との距離感に悩むことがありました。常務時代の10年間は、会長の存在の大きさを尊重しつつも、“自分ならではのリーダーシップとは何か”を模索し続ける日々だったと思います。
でも、その壁を気にして立ち止まっても仕方がない。そう腹を括り、少しずつ会社の進め方を整え、社員と一緒に“会社対会社での信頼関係”を築いていきました。今ではデザイナー自身が主体的にお客様と会いたいと言ってくれるようになり、仕事の向き合い方が変わってきたんです。社員の思考が変わり、会社の姿勢が変わったとき、初めて“私が社長としている意味”を実感することができました。
私自身、若い頃から“ロールモデルを持つこと”を大切にしてきました。人の良いところを真似して学び、自分を成長させていくタイプなんです。特に影響を受けたのが、“江戸しぐさ”を広めていた先生から学んだこと。人や社会に喜びを届ける姿勢は、今の私の経営観にも強く根づいています。
ただ、継承してからは葛藤もありました。会長がデザイナーとして第一線で会社を引っ張ってきた存在であり、社員にとっても尊敬すべき大きな背中でした。一方で、私はプランナーという立場から会社を受け継いだため、同じ視点や経験を持ち合わせていない分、どうしても社員との距離感に悩むことがありました。常務時代の10年間は、会長の存在の大きさを尊重しつつも、“自分ならではのリーダーシップとは何か”を模索し続ける日々だったと思います。
でも、その壁を気にして立ち止まっても仕方がない。そう腹を括り、少しずつ会社の進め方を整え、社員と一緒に“会社対会社での信頼関係”を築いていきました。今ではデザイナー自身が主体的にお客様と会いたいと言ってくれるようになり、仕事の向き合い方が変わってきたんです。社員の思考が変わり、会社の姿勢が変わったとき、初めて“私が社長としている意味”を実感することができました。
未来へ手渡すバトン
父から学んだ、生き方の指針
デザインの力で人を幸せにすること——。その思いを会社の理念として掲げ、継承の苦労を越えながら歩んできましたが、振り返れば、その根っこには父の存在があります。
父・日浦寛治は、県庁を退職後に企業で社長・会長を務める一方、530年続く実家を守り続けてきました。人とのご縁を大切にし、友を思いやり、国内最長老の出雲崎町長・小林氏を陰ながら支え続けた姿には、“誠実に人に尽くす”という生き方がにじんでいました。
私が常務から社長へと歩むときも、父は一つひとつの迷いに耳を傾け、静かに背中を押してくれました。その助言は今も心の支えであり、経営に向き合う自分の軸になっています。70歳、88歳、90歳で自叙伝を著し、なお周囲の人々に力を与え続ける姿に、私は“人生を丁寧に生きることの意味”を学びました。
毎日16時30分に、赤い丸盆に手料理を小皿に並べた晩酌の写真を、家族のライングループに送ってくれる父。その何気ない日常の風景さえも、私には“人を思いやり、楽しみを分かち合う”大切な姿勢として映ります。
父から学んだ、“人に尽くすこと”“ご縁を育むこと”“日々を丁寧に歩むこと”。それらは今の私の経営姿勢と重なっています。これからも私は、その生き方を胸に、地域ブランドの未来をデザインし、関わるすべての人の幸せにつながる仕事を積み重ねていきたいと思います。
父・日浦寛治は、県庁を退職後に企業で社長・会長を務める一方、530年続く実家を守り続けてきました。人とのご縁を大切にし、友を思いやり、国内最長老の出雲崎町長・小林氏を陰ながら支え続けた姿には、“誠実に人に尽くす”という生き方がにじんでいました。
私が常務から社長へと歩むときも、父は一つひとつの迷いに耳を傾け、静かに背中を押してくれました。その助言は今も心の支えであり、経営に向き合う自分の軸になっています。70歳、88歳、90歳で自叙伝を著し、なお周囲の人々に力を与え続ける姿に、私は“人生を丁寧に生きることの意味”を学びました。
毎日16時30分に、赤い丸盆に手料理を小皿に並べた晩酌の写真を、家族のライングループに送ってくれる父。その何気ない日常の風景さえも、私には“人を思いやり、楽しみを分かち合う”大切な姿勢として映ります。
父から学んだ、“人に尽くすこと”“ご縁を育むこと”“日々を丁寧に歩むこと”。それらは今の私の経営姿勢と重なっています。これからも私は、その生き方を胸に、地域ブランドの未来をデザインし、関わるすべての人の幸せにつながる仕事を積み重ねていきたいと思います。
会社情報
会社名略称. | 株式会社ネオス |
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勤務先名 | 株式会社ネオス |
本社住所 | 新潟県長岡市幸町1‐3‐10 パートナーズPLAZA内 |
代表者名 | 取締役社長 村上敦子様 |
1年後〜3年後の目標 | 地域や社会、企業にはそれぞれ課題があります。その課題を見つけ、デザインの力で解決していくことが、これからの私たちに求められていると思います。 大切なのは“作って終わり”ではなく、その仕事が社会や地域のためにどう役立っているかを自分の目で確かめ、次へと活かすこと。そうした姿勢を持ち続けることで、ネオスはこれからも誇れる仕事を積み重ね、成長していきたいと考えています。 |
事業内容 | 企業および商品のブランディング/広告および各種デザインの企画・製作/商品のプロデュース/動画制作/空間プロデュース |
メッセージ | 社員に伝えたいこと 社員のみんなに常々伝えているのは“傾聴”です。聞く力という本もあるように、相手に気持ちよく話していただくためには、ただ耳を傾けるだけではなく、事前に準備をして臨むことが大切だと思っています。 企業様のことを理解し、勉強した上で質問をする。言葉数が少ないお相手には、まず自分のことをお話しして、安心してもらう。そうして会話の中で心をひらいてくださる瞬間が訪れたとき、それは何よりの喜びです。 お客様との対話を“傾聴の時間”として楽しめるようになれば、きっと仕事そのものがもっと豊かに感じられるはず。そう願って、私は日々この言葉を社員に伝え続けています。 |
その他 | こちらもご覧ください‼ neos-design.co.jp |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
取材者名 | ㈱採用戦略研究所 土田 |
---|---|
住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
電話番号 | 070‐6433‐5645 |
事務所HP | https://rs-lab.jp |