屋根から暮らしを考え、未来に残したい郷土の景色をつくる。【代表 間藤秀一氏】
株式会社マト―
瓦とともに受け継がれてきた百年の歩み
時代を越えてつなぐ技
うちの会社は、曽祖父が始めたんです。正確な年数まではわからないんですが、おそらく100年以上になると思います。ただ100周年のお祝いはやってこなかったので、来年を“創業100年”としてイベントをやろうと計画しています。
今は屋根工事、とくに瓦屋根が主力ですが、最初は「木羽屋」からのスタートでした。曽祖父の時代にはまだ瓦が普及していなくて、「木羽」と呼ばれる木の板を薄く裂いたものを重ね、大きな石をのせて屋根を作っていたんです。関川村の国指定重要文化財・渡邉邸でも、いまもその工法が残っているんですよ。
その後、祖父の代でセメント瓦をつくって施工するようになり、父の代では安田瓦など陶器の瓦も扱うようになりました。そして私の代からは、瓦に加えて金属屋根や外壁工事など、住宅の外回りを幅広く手がけるようになったんです。気づけば、ずっと「家づくり」に関わり続けてきて、もう100年の歴史になりました。
私が社長になったのは9年前です。本当はもっと早く代替わりしたかったんですが、そのことで父とよくぶつかりましたね。父が60歳の頃に「そろそろ変わってほしい」とお願いしたんですが、なかなか首を縦に振ってもらえなくて…。
若い子たちが増えてきた中で、父の厳しい言葉にちょっと気持ちが折れてしまう姿を見て、「このままでは育つ人も育たない」と思ったんです。そこで改めて提案を重ね、最終的には父が65歳の時に交代してくれました。
周りを見れば70代で現役バリバリの社長さんも多い中、父が理解して任せてくれたのは本当にありがたかったと思っています。
今は屋根工事、とくに瓦屋根が主力ですが、最初は「木羽屋」からのスタートでした。曽祖父の時代にはまだ瓦が普及していなくて、「木羽」と呼ばれる木の板を薄く裂いたものを重ね、大きな石をのせて屋根を作っていたんです。関川村の国指定重要文化財・渡邉邸でも、いまもその工法が残っているんですよ。
その後、祖父の代でセメント瓦をつくって施工するようになり、父の代では安田瓦など陶器の瓦も扱うようになりました。そして私の代からは、瓦に加えて金属屋根や外壁工事など、住宅の外回りを幅広く手がけるようになったんです。気づけば、ずっと「家づくり」に関わり続けてきて、もう100年の歴史になりました。
私が社長になったのは9年前です。本当はもっと早く代替わりしたかったんですが、そのことで父とよくぶつかりましたね。父が60歳の頃に「そろそろ変わってほしい」とお願いしたんですが、なかなか首を縦に振ってもらえなくて…。
若い子たちが増えてきた中で、父の厳しい言葉にちょっと気持ちが折れてしまう姿を見て、「このままでは育つ人も育たない」と思ったんです。そこで改めて提案を重ね、最終的には父が65歳の時に交代してくれました。
周りを見れば70代で現役バリバリの社長さんも多い中、父が理解して任せてくれたのは本当にありがたかったと思っています。
測量設計から家業へ
社長の歩み
大学を卒業してからは、新潟の測量設計の会社に就職しました。そこで約8年間、道路や橋づくりに携わり、測量から設計までの流れを経験しました。現場に立ち、形になっていく仕事はやりがいも大きく、とても楽しく働いていました。
ただ、父とは昔からあまり仲が良いほうではありませんでした。父は社長業のほかに市議会議員も務めていて、子どもの頃から家にいないことが多く、休日にどこかへ連れて行ってもらった記憶もありません。思春期の頃には反発もあり、距離を感じていました。
そんな私の気持ちが変わったのは、自分に子どもが生まれてからです。少しずつ父との会話も増え、健康面のことも考えるようになり、「そろそろ家業を手伝うべきではないか」と思うようになりました。ちょうど9つ年下の弟が、私の1年前に会社へ入社していて、「弟と二人で頑張ってみよう」と思えたことも大きなきっかけでした。
測量の仕事も外仕事でしたから、屋外で働くことに抵抗はありませんでした。ただ、屋根の上の仕事はまた別物。遮るものがない分、夏は暑く、冬は寒い。屋根の仕事の厳しさを身をもって実感しました。
また、社長を継いでからは会社名を「マト―」に変更しました。もともとの社名は「間藤高圧」。これは祖父が法人化したときにつけたもので、当時の主力商品だった“高圧セメント瓦”に由来しています。でも、「高圧」と聞くとガス会社のようなイメージもあり(笑)、代替わりを機に新しい名前を考えることにしました。100個ほど候補を出しながら、「瓦だけでなく、もっと幅広い外回りの仕事をやっていきたい」という想いと、「間藤」という珍しい名字を覚えてもらいやすいように、カタカナでシンプルに表現することに。そうして「マト―」という名前が生まれたのです。
ただ、父とは昔からあまり仲が良いほうではありませんでした。父は社長業のほかに市議会議員も務めていて、子どもの頃から家にいないことが多く、休日にどこかへ連れて行ってもらった記憶もありません。思春期の頃には反発もあり、距離を感じていました。
そんな私の気持ちが変わったのは、自分に子どもが生まれてからです。少しずつ父との会話も増え、健康面のことも考えるようになり、「そろそろ家業を手伝うべきではないか」と思うようになりました。ちょうど9つ年下の弟が、私の1年前に会社へ入社していて、「弟と二人で頑張ってみよう」と思えたことも大きなきっかけでした。
測量の仕事も外仕事でしたから、屋外で働くことに抵抗はありませんでした。ただ、屋根の上の仕事はまた別物。遮るものがない分、夏は暑く、冬は寒い。屋根の仕事の厳しさを身をもって実感しました。
また、社長を継いでからは会社名を「マト―」に変更しました。もともとの社名は「間藤高圧」。これは祖父が法人化したときにつけたもので、当時の主力商品だった“高圧セメント瓦”に由来しています。でも、「高圧」と聞くとガス会社のようなイメージもあり(笑)、代替わりを機に新しい名前を考えることにしました。100個ほど候補を出しながら、「瓦だけでなく、もっと幅広い外回りの仕事をやっていきたい」という想いと、「間藤」という珍しい名字を覚えてもらいやすいように、カタカナでシンプルに表現することに。そうして「マト―」という名前が生まれたのです。
瓦も金属も——幅広さが生む提案力
一社で完結する安心感
「住宅に上がる屋根材なら、なんでも扱えるのがうちの特徴です。同業だと瓦は瓦の専門屋さん、金属は板金屋さん、と分かれるのが普通。でも弟が金属屋根を学んでくれたことで、うちは両方に対応できるようになりました。この両方を扱える会社って、実はとても少ないんです。」
だからこそ、お客様に両方のメリット・デメリットを伝え、納得したうえで一番合う屋根を選んでもらえる。見積もりも複数社に依頼する手間がなく、一社で完結できるのはお客様にとっても大きな安心感につながっています。
さらに、同業の中でも職人の数が多いのもマト―の強み。有資格者だけでも10名ほど在籍し、県内トップクラスの全国でも有数の確かな技術力がうちの誇りです。
「やりがいはやっぱり、お客様のお困りごとを解決できることですね。雨漏り修理に伺うと、『ありがとう、助かりました』と感謝の言葉をいただける。仕事をして対価としてお金をいただいているのに、感謝までしてもらえるのは本当にうれしいことです。」
一般住宅だけでなく、保育園や学校などの公共施設から依頼を受けることもあります。大勢の人が使う建物で雨漏りが起きれば緊急性は高いのに、予算や手続きの関係で正式な工事まで時間がかかってしまう。そんな時は応急処置で雨漏りを止めるのですが、それでも「本当に助かりました」と声をかけてもらえることがあります。損得を抜きにして人の役に立てた実感と、その場でいただく感謝の言葉は、何にも代えがたい喜びだと感じています。
営業のときには、よく「家も人の体と同じなんですよ」とお伝えします。40年、50年と年月を重ねれば点検や手入れが必要になり、ときには大きな工事が“手術”のような役割を果たすこともあります。そうたとえると、お客様もすぐにイメージできて納得してくださるんです。
屋根を直すという仕事は、単に建物を直すことではなく、お客様の幸せな暮らしを考え、未来に残したい郷土の景色をつくることだと感じています。
だからこそ、お客様に両方のメリット・デメリットを伝え、納得したうえで一番合う屋根を選んでもらえる。見積もりも複数社に依頼する手間がなく、一社で完結できるのはお客様にとっても大きな安心感につながっています。
さらに、同業の中でも職人の数が多いのもマト―の強み。有資格者だけでも10名ほど在籍し、県内トップクラスの全国でも有数の確かな技術力がうちの誇りです。
「やりがいはやっぱり、お客様のお困りごとを解決できることですね。雨漏り修理に伺うと、『ありがとう、助かりました』と感謝の言葉をいただける。仕事をして対価としてお金をいただいているのに、感謝までしてもらえるのは本当にうれしいことです。」
一般住宅だけでなく、保育園や学校などの公共施設から依頼を受けることもあります。大勢の人が使う建物で雨漏りが起きれば緊急性は高いのに、予算や手続きの関係で正式な工事まで時間がかかってしまう。そんな時は応急処置で雨漏りを止めるのですが、それでも「本当に助かりました」と声をかけてもらえることがあります。損得を抜きにして人の役に立てた実感と、その場でいただく感謝の言葉は、何にも代えがたい喜びだと感じています。
営業のときには、よく「家も人の体と同じなんですよ」とお伝えします。40年、50年と年月を重ねれば点検や手入れが必要になり、ときには大きな工事が“手術”のような役割を果たすこともあります。そうたとえると、お客様もすぐにイメージできて納得してくださるんです。
屋根を直すという仕事は、単に建物を直すことではなく、お客様の幸せな暮らしを考え、未来に残したい郷土の景色をつくることだと感じています。
社員とともに育つ会社へ
若手の成長と、家族まで含めたつながり
去年からは新卒採用を始め、この春にはエネルギッシュな新人が仲間に加わりました。さらに来年春には、高卒の新しい仲間も迎える予定です。それもご縁あって、私の子どもの同級生が入社してくれることになりました。
同業を見ると、高齢化が進み少人数で続けている会社が多いのが現状です。だからこそ、未来ある若い人材に技術を継承する体制をつくるのは、業界にとっても自社にとっても必要なこと。昔のように「見て覚えろ」ではなく、一つひとつ丁寧に教えていくことを意識しています。
印象的だったのは、今まで最年少だった社員の変化です。後輩ができたことで責任感が芽生え、まるで人が変わったように成長しました。先輩として指導する立場になることが、こんなに力になるのかと驚きましたね。そういう循環をつくってあげるのが会社の責任だと思っています。
もっとも、社長になった当初は悩みも多くありました。父のようにはならないと誓っていたのに、業績が厳しい時期には売上や利益ばかりを気にして、社員に厳しく接してしまったこともありました。その結果、ベテラン社員が離れてしまったこともあり、「このままではいけない」と考えを改めました。
そこで始めたのが、社員一人ひとりとの年2回の面談です。1時間ほど、できるだけ仕事の話はせず、趣味やプライベートを中心に話す場にしました。すると、ある社員がアルビレックス新潟の試合を毎試合観戦していることを知って驚きました。なんと、そのことを知らなかったのは私だけ(笑)。そこから「じゃあみんなで観に行こう」と提案するようになったんです。まだ実現できていませんが、別の社員の提案で、長岡花火に社員の家族も含めた30人ほどで出かけるなど、少しずつ交流の輪が広がっています。
また最近では、社員だけでなくそのご家族へも誕生日プレゼントを贈るようになりました。体が資本の仕事だからこそ、安心して働けるのは家族の支えがあってこそ。そんな社員の家族への感謝の気持ちを伝えるようになってから、家族からの協力も得られようになり、結果としては離職もなくなりました。
同業を見ると、高齢化が進み少人数で続けている会社が多いのが現状です。だからこそ、未来ある若い人材に技術を継承する体制をつくるのは、業界にとっても自社にとっても必要なこと。昔のように「見て覚えろ」ではなく、一つひとつ丁寧に教えていくことを意識しています。
印象的だったのは、今まで最年少だった社員の変化です。後輩ができたことで責任感が芽生え、まるで人が変わったように成長しました。先輩として指導する立場になることが、こんなに力になるのかと驚きましたね。そういう循環をつくってあげるのが会社の責任だと思っています。
もっとも、社長になった当初は悩みも多くありました。父のようにはならないと誓っていたのに、業績が厳しい時期には売上や利益ばかりを気にして、社員に厳しく接してしまったこともありました。その結果、ベテラン社員が離れてしまったこともあり、「このままではいけない」と考えを改めました。
そこで始めたのが、社員一人ひとりとの年2回の面談です。1時間ほど、できるだけ仕事の話はせず、趣味やプライベートを中心に話す場にしました。すると、ある社員がアルビレックス新潟の試合を毎試合観戦していることを知って驚きました。なんと、そのことを知らなかったのは私だけ(笑)。そこから「じゃあみんなで観に行こう」と提案するようになったんです。まだ実現できていませんが、別の社員の提案で、長岡花火に社員の家族も含めた30人ほどで出かけるなど、少しずつ交流の輪が広がっています。
また最近では、社員だけでなくそのご家族へも誕生日プレゼントを贈るようになりました。体が資本の仕事だからこそ、安心して働けるのは家族の支えがあってこそ。そんな社員の家族への感謝の気持ちを伝えるようになってから、家族からの協力も得られようになり、結果としては離職もなくなりました。
幸せを追いかけて——地域とともに未来へ
社員・お客様・地域、すべての人の笑顔のために
今、会社の経営理念を見直そうと役員たちと話し合っています。来春には、新しい理念や今後の方針をまとめた冊子をつくり、社員全員に配布したいと思っているんです。
新しい理念の中心にあるのは、「幸せの追求」という考え方です。お客様や地域の方々の幸せをとことん追求することが、私たちの使命だと思っています。そして、働く社員たちにも幸せを感じてもらいたい。会社を通して、関わるすべての人が少しでも豊かに、前向きになれるような存在でありたいんです。
屋根の仕事はこれからも変わらず続けていきますが、それにとどまらず、「お客様の幸せな暮らしにどう貢献できるか」を軸に、やれることをどんどん増やしていきたいと思っています。仕事の枠にとらわれず、人が安心して、安全に暮らせること。そのためにできることがあるなら、なんでも挑戦していきたいですね。
新しい理念の中心にあるのは、「幸せの追求」という考え方です。お客様や地域の方々の幸せをとことん追求することが、私たちの使命だと思っています。そして、働く社員たちにも幸せを感じてもらいたい。会社を通して、関わるすべての人が少しでも豊かに、前向きになれるような存在でありたいんです。
屋根の仕事はこれからも変わらず続けていきますが、それにとどまらず、「お客様の幸せな暮らしにどう貢献できるか」を軸に、やれることをどんどん増やしていきたいと思っています。仕事の枠にとらわれず、人が安心して、安全に暮らせること。そのためにできることがあるなら、なんでも挑戦していきたいですね。
会社情報
| 会社名略称. | 株式会社マト― |
|---|---|
| 勤務先名 | 株式会社マト― |
| 本社住所 | 新潟県新発田市下中沢853‐2 |
| 代表者名 | 代表取締役 間藤 秀一様 |
| 新規事業・チャレンジしたいこと | 地域の経営者さんや農家の方たちと一緒に、桜の季節に「桜と越後姫」のイベントを立ち上げています。 会場は、桜の名所として知られる加治川近くの治水公園。昔は行政や商工会が主催して桜まつりを開いていましたが、しばらく途絶えてしまっていたんです。 「何かやって地域を盛り上げていこう」と話になり、2年前に私たち民間の有志でスタートしました。 きっかけは、地元の中学生が地域の社長たちに“まちを発展させるにはどうしたらいいか”などインタビュー形式で聞きに来てくれたこと。アドバイスするだけじゃなく、自分たちが動かないと説得力がないなと思ったのが始まりでした。 新発田市は、実は「越後姫」の発祥地でもあります。治水公園の隣に県の園芸研究センターがあり、越後姫はそこで生まれた品種なんです。だからこそ、「桜と越後姫」というテーマで、地域の魅力をもう一度発信したいと思いました。 イベント屋さんになりたいわけではありません。一番の目的は、地域の子どもたちに“まちをつくる楽しさ”を伝えたいということ。 初年度から中学生にボランティアスタッフとして参加してもらい、2年目の今年は学校とも連携して本格的な企画に挑戦しました。半年かけて授業の中で生徒たちがブース案を出し合い、プレゼン大会で決定。いちご大福やいちごのパンケーキ販売するブースを企画・運営してもらいました。 子どもたちが地域のことを真剣に考え、行動している姿を見られたのは本当に嬉しかったですね。 この経験が、彼らの将来につながっていってくれたら――そう願っています。 |
| こんな人に会いたい | 人に役立ちたい、誰かのために働きたい──そういう気持ちを大切にできる人と、一緒に仕事がしたいなと思っています。 雨漏りの依頼ひとつにしても、「ここだけ直せば終わり」じゃなくて、「これが本当にお客様のためになるのか」を考えられる人。もちろん無理な提案はしないけれど、先のことまで見据えて、小さなことにも気づいて動ける人がいいですね。 うちでは、社員にもよく「お客様に上がってお茶でも飲んでってと言われたら、断らずに飲んできてね」と伝えています。仕事の話だけじゃなくて、そこで初めて出てくる困りごともあるし、雑談の中から次の相談につながることもある。お金にならなくても、お客様に喜んでもらえたら、それでいいと思うんです。 地域の方やお客様に「ありがとう」と言っていただけることが、何よりのやりがい。そんな気持ちを一緒に大事にしてくれる人と、これからのマト―をつくっていきたいです。 |
| 事業内容 | 各種瓦/板金屋根/外壁の施工/セメント瓦塗装/太陽光パネル設置/雨どい施工/樹木伐採 |
| その他 | こちらもご覧ください‼ @mato_roof(Instagram) |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
| 取材者名 | ㈱採用戦略研究所 土田 |
|---|---|
| 住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
| 電話番号 | 070‐6433‐5645 |
| 事務所HP | https://rs-lab.jp |