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丁寧であることが、阿部製作所の強さ。三代で受け継いだ“見えない場所”を支える誇り。【代表 阿部修靖氏】

株式会社阿部製作所

金属との出会いが導いたものづくりの原点

―乳牛から製縄、そして金属加工へ。家業の転換と受け継がれる想い―

阿部製作所の歴史は、意外なところから始まります。
もともとは牛を飼い、乳牛を扱っていた祖父母の代。その後、製縄工場を営むようになりました。
しかし当時、「もっと違う分野に挑戦すべきだ」という祖父の判断から、家業の方向転換が始まります。

「金属だ!」——そう決断した祖父は、親戚のつてを頼って父を東京の金属加工会社へ送り出しました。
数か月間の修行を経て、父はいくつかの仕事を持ち帰り、中之島の地で金属加工業をスタートさせたのが、阿部製作所の始まりです。

創業当初は、歩行器の金具、ストーブ部品、農業用ハウスに使われる金具などを手掛けていました。
祖父母も両親も夜遅くまで工場で働き、幼い私にとって工場は“遊び場”そのものでした。
そんな環境で育ったからか、小学生の頃にはすでに「いつかこの会社を継ぐんだ」と心の中で決めていたように思います。

ただ、順風満帆というわけではありませんでした。
ストーブの部品を納めていた取引先が倒産し、不当たりを受けて大きな打撃を受けたのです。
「この先どうなるんだろう」と、子どもながらに不安を感じたことを今でも覚えています。

その後、父の弟(私の叔父)の東京での住まいを宿として営業活動を展開。
機械メーカーの紹介を通じて、新たな取引先——株式会社アカギとのご縁が生まれました。
そこから需要が次第に増え、体制を整えながら事業を広げていった結果、現在の阿部製作所へとつながっていきます。

“見えないところで支える”阿部製作所の仕事

―1個から量産まで。丁寧なものづくりで信頼を積み重ねる―

私たちがつくっている製品は、建物の天井裏や床下、壁の中など、普段は目に触れない場所で使われています。
ガスや水道の配管を吊ったり、支えたりする配管支持金具と呼ばれるものです。

あまり人の目に入ることはありませんが、暮らしに欠かせないインフラを支える重要な部品です。
配管自体の加工も行っており、パイプを切断してネジを切ったり、溶接したりといった工程も自社で対応しています。
部材を製造して現場に納め、施工そのものは別の会社が行うという形ですね。

私たちの強みは、同じ形の製品を「1個」から「何百万個」まで対応できる柔軟な生産体制にあります。
しかも、それを短納期で実現できるのが阿部製作所の技術力です。

そして何より大切にしているのは、「丁寧であること」。
会社の理念にも掲げていますが、製品づくりでの“丁寧さ”は、人への接し方にも表れます。
一つひとつの製品を丁寧に扱うからこそ、社員同士やお客様、取引先への対応にも誠実さが生まれる。
そんな想いを大切にしています。

設備面でも、機械の保有量・設備内容の充実度は当社の大きな強みです。
加工から組立、物流までをワンストップで完結できる体制を整えています。
さらに、海外(ベトナム工場)での生産にも対応しており、大量生産が必要なときには現地での製造を依頼することも可能です。
今では、ベトナム工場で省人化機械を開発、製造して生産の合理化を図っています。

“見えないところで社会を支える”。
私たちの仕事は決して派手ではありませんが、暮らしの安全を陰で支える誇りがあります。

三代でつないだ想いと、変わらぬ責任感

受け継いだ理念と、現場主義のリーダーシップ

24歳のときにこの会社へ入りました。
当時の社長は祖父で、その後に父が社長を継ぎ、私は二人の経営者の背中を見てきました。
経営の考え方や姿勢の違いも含めて、間近で見られたのは本当に貴重な経験だったと思います。

そして2014年7月、私が社長に就任しました。
引き継いだ後も、会社としての“想い”は基本的に変わっていません。
創業の頃、私たちは現在の主要取引先である株式会社アカギさんとの出会いに救われました。
もしそのご縁がなければ、阿部製作所は今存在していなかったかもしれません。

だからこそ、どんな状況であっても、「いいものを、適正な価格で、誠実に届ける」という姿勢だけはブレずに守ってきました。
祖父も父も、そして私も、その想いは変わりません。

そうして誠実に積み重ねていく中で、少しずつ新しい仕事や取引先も増えていきました。
納期・品質・コスト・デリバリー、そのどれもを満足していただけるよう努力してきた結果、
「じゃあ、これもお願いできるかな」と言っていただける機会が増え、仕事も社員も自然と広がっていきました。

社長になる前は、約15年間専務を務めていました。
業務内容が大きく変わったわけではありませんが、最終責任を背負う覚悟が加わったことで、
精神的な重みはやはり違いましたね。
とはいえ、いつかは自分が継ぐと心に決めていたので、プレッシャーというよりは
“自然な流れ”として受け止められました。

若いころは現場にも立ち、仕事の流れを一通り見て学びました。
今も、幹部クラスの社員にも「現場に出ることの大切さ」を伝えています。
コミュニケーションを大事にし、何かあったときは「三現主義」――現場・現物・現実を大切にする。
そこにすべての答えがあると考えています。

「人が育つ会社」へ

仕組みを整え、心を通わせる。改革と信頼の経営

社長に就任してから、まず取り組んだのは人が働きやすい環境づくりでした。
ものづくりの現場は、どうしても「忙しさが当たり前」になりがちです。
だからこそ、まずは働く基盤を整えることが大切だと考えました。

休日体制を見直し、週休2日制に改定してから今年で2年目になります。
ただ休みを増やすことが目的ではなく、「心と体に余白をつくること」で
社員がより良いパフォーマンスを発揮できる環境をつくりたかったんです。

そしてもう一つが、明確な人事評価制度の構築です。
以前はどうしても評価が感覚的になりがちで、
頑張っていても「どう評価されているのか」が見えにくい部分がありました。
そこで、社員一人ひとりが数値目標を設定し、
その数字に至るまでの行動計画を自分で提示する仕組みに変えました。

半期ごとに自己評価と上司の評価を行い、昇給は年2回。
数字の達成度だけでなく、そこに至るまでの努力や姿勢も含めて評価します。
結果だけでなくプロセスを見る——この視点が、会社全体の雰囲気を大きく変えました。

制度を導入してから、社員の数字に対する意識が格段に高まりました。
「なぜこの数字なのか」「どうすれば達成できるのか」と自ら考えるようになり、
目標へのこだわりや成長意欲がどんどん強くなっています。

私は、成長する力を持っている人、成長したいと願う人はたくさんいると思っています。
その力を引き出し、伸ばす環境を整えるのが会社の責任です。
社員の声をしっかり拾いながら、一人ひとりが活躍できる場を
もっと広げていきたいと思っています。

人が育つ会社であること。
それが結果として、お客様や地域に信頼される企業につながると信じています。

次の100年を見据えて

育て、託し、つないでいくために

自分の成長よりも大切なのは、部下の成長、社員の成長だと思っています。
自分が成長できるというのは、まさに“周りが成長している証”なんですよね。

そのバロメーターは、「自分で判断し、自分で決断できる人がどれだけいるか」。
最近では、そういう人材が少しずつ増えてきていると感じます。

私はなるべく社員に余計なことを言わないようにしてきました。
現場に任せ、見守る。
もちろん業務が増えて不在になることも多くなりましたが、
その分、社員が自分で考えて動くようになりました。
責任感が芽生えると、仕事に対する姿勢も、人との関わり方も大きく変わってくる。
だから私は、言いたいことがあってもグッとこらえて、社員が判断・決断するまで“待つ”ようにしています。

私が思うに、社長業というのは「コーディネーター業」と「我慢業」の二つだと思うんです。

コーディネーターとは、社員同士をどう交わらせ、
“1+1を2ではなく3にも4にもする”かということ。
自分の力なんてたかが知れています。
だからこそ、できないことはできる人に任せる。
これは社長に限らず、部長やリーダーにも同じことが言えると思っています。

そして我慢業。
時には少しくらいのことは、見て見ぬふりをすることも必要なんです。
“待てるかどうか”。
社員が自ら動き、主体的に考えてくれるようになるためには、
見守る覚悟が求められます。

そもそも私が人事制度をつくった大きな目的も、社員を育てるためなんです。
今は同族以外の役員が一人しかいないですが、これから同族以外の役員を人選していきたいし、
将来的には、役員候補を育てていくことも必要だと思っています。

今は、二期工事を進めている最中です。
いずれは三期工事にも着手したいと考えています。
同時に、より合理的な輸送体制の構築にも取り組んでいきたいですね。

また、定年を現在の60歳から再雇用で65歳までとしていますが、
「70歳でもまだまだ若い」と思っています。
せっかく長年勤めてくださった方々には、
培った経験や技術を生かして活躍できる場所をこれからも提供したい。

既存の業務に限らず、社員の“得意”や“特技”を活かし、
社会に貢献できるような新たな分野にも挑戦していきたいです。

そしてもう一つ大事なのは、私自身の後継者育成です。
世代交代の目標は65歳。
遅くとも私が引き継いだ68歳にとは思っています。
「早いに越したことはないので(笑)」

これからは若手や中堅社員たちが、
阿部製作所の“次の100年”を支える礎になってくれることを期待しています。
私はその土台を、しっかり築いていきたいと思っています。

会社情報

会社名略称. 株式会社阿部製作所
勤務先名 株式会社阿部製作所
本社住所 新潟県長岡市与板町与板字江東乙1902‐4
代表者名 代表取締役社長 阿部 修靖様
こんな人に会いたい 企業理念にもある「丁寧さ」を大切にできる人。
そして、何事にもしなやかさを持って向き合える人ですね。
コミュニケーションが取れるというのは、単に話ができるということではなく、
相手の気持ちや状況を思いやれることだと思います。
やっぱり、そこが一番大事なんじゃないかな。
一言でいえば、“人間力”がある人。
でも、あまりそこに限定してしまうと、出会えるご縁も逃しちゃいそうですけどね(笑)。これからも会社全体の環境を整えながら、社員一人ひとりがたくさんの気づきを得て、成長していけるような場をつくっていきたいと思っています。
事業内容 金属加工/レーザー加工/配管支持金具の製造/ステレンス鋼管/消火設備配管
メッセージ 金属加工を始めて間もない頃から、
障がいを持つ方々に組立作業をお願いしてきました。
そうした福祉施設に、継続的に仕事を提供しています。
障がいを持った方々にとって、阿部製作所の名前や製品はとても身近な存在になっているようです。
中には「阿部製作所の仕事だ!」と親しみを持ってくださる方もいて、ある意味、ブランド化されているのかもしれませんね。
毎年クリスマスの時期になると、ささやかではありますが、お菓子などをプレゼントとしてお渡ししています。
以前は配送の方にお願いしていたのですが、「自分の目で直接届けたい」と思い、2年前から私も同行するようになりました。
実際に伺うと、みなさんが寄せ書きを用意して待っていてくれるんです。
あれは本当にうれしかったですね。
私たちの仕事が誰かのやりがいや喜びにつながっている——
そう感じられるのは、経営者として何よりの励みです。
“仕事をする張り合い”を感じてもらうこと。
それは、私たちにとっても同じで、これからも地域とのこうしたつながりを大切にしていきたいと思います。
その他 こちらもご覧ください‼
《ホームページ》
https://www.abess.co.jp/

取材者情報

今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。

取材者名 ㈱採用戦略研究所 土田
住所 新潟県長岡市山田3丁目2-7
電話番号 070‐6433‐5645
事務所HP https://rs-lab.jp

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