“ありがとう”で終われる人生を。——寄り添い続ける花屋仁助のまごころ。【代表 石附大昌氏】
有限会社花屋仁助
受け継がれてきた150年
文房具店から、葬儀社「花屋仁助」へ
花屋仁助は、明治初期の創業から150年。
私で5代目になります。
もともとは、初代が営んでいた文房具店が始まりでした。
筆や箱、造花などを扱う中で、次第に「箱づくり」から棺の製造へと展開し、
2代目の時代に「葬儀屋・花屋仁助」として歩みを進めることになりました。
私が物心ついた頃には、すでに家業は葬儀業でした。
両親はいつも忙しく、ほとんど休みがなかったように思います。
それでも、年に一度の家族旅行だけは欠かさず行ってくれて、
その時間が何より楽しみでしたね。
葬具をおもちゃ代わりにして遊んでいたこともあるくらい、
この仕事は本当に身近な存在でした。
「仁助」という屋号は、先代の名前からだと聞いています。
高校生までは、「家業を継ぐ」という意識はまったくありませんでした。
けれど、さまざまな人と関わるうちに、
“人の役に立つ仕事っていいな”と思うようになっていったんです。
それが、仁助を意識しはじめたきっかけでした。
高校卒業後は会計の専門学校に進み、
その後、県外の葬儀社で2年間の修行へ。
22歳で家業に戻り、現場を一通り経験しました。
そして26歳のとき、父が白血病で他界しました。
わずか10か月の闘病生活。
その後、何もわからないまま社長を引き継ぐことになりました。
突然の出来事でしたが、
“父が守ってきた仁助を、これからも続けていきたい”という想いだけは、
強く心にありました。
私で5代目になります。
もともとは、初代が営んでいた文房具店が始まりでした。
筆や箱、造花などを扱う中で、次第に「箱づくり」から棺の製造へと展開し、
2代目の時代に「葬儀屋・花屋仁助」として歩みを進めることになりました。
私が物心ついた頃には、すでに家業は葬儀業でした。
両親はいつも忙しく、ほとんど休みがなかったように思います。
それでも、年に一度の家族旅行だけは欠かさず行ってくれて、
その時間が何より楽しみでしたね。
葬具をおもちゃ代わりにして遊んでいたこともあるくらい、
この仕事は本当に身近な存在でした。
「仁助」という屋号は、先代の名前からだと聞いています。
高校生までは、「家業を継ぐ」という意識はまったくありませんでした。
けれど、さまざまな人と関わるうちに、
“人の役に立つ仕事っていいな”と思うようになっていったんです。
それが、仁助を意識しはじめたきっかけでした。
高校卒業後は会計の専門学校に進み、
その後、県外の葬儀社で2年間の修行へ。
22歳で家業に戻り、現場を一通り経験しました。
そして26歳のとき、父が白血病で他界しました。
わずか10か月の闘病生活。
その後、何もわからないまま社長を引き継ぐことになりました。
突然の出来事でしたが、
“父が守ってきた仁助を、これからも続けていきたい”という想いだけは、
強く心にありました。
モットーは“まごころのお葬式”
悲しみに寄り添い、心を支える仕事
うちのモットーは「まごころのお葬式」です。
この言葉は、代々大切に受け継がれてきたもの。
さまざまな事情を抱えたご家族もいらっしゃいますが、
不思議と最後は“感謝”で終わるんです。
その“感謝”の気持ちを、私たちは「まごころ」と表現しています。
葬儀の現場で私が何よりも大切にしているのは、“寄り添うこと”です。
この業界では「グリーフサポート」と呼ばれますが、
ご遺族だけでなく、友人、知人、時にはペットなど、
人は“自分らしさ”を形づくるさまざまな存在に囲まれて生きています。
だからこそ、大切な人を失うということは、
自分の一部を失うような変化でもある。
私たちの役目は、助言をすることではなく、話を聴くこと。
その時間の中で少しでも心が軽くなる瞬間があれば、それでいいと思っています。
スタッフ全員がそうした姿勢を共有し、
“寄り添う力”を大切に日々の仕事にあたっています。
実は私自身、このグリーフサポートの大切さを痛感したのは、父の死がきっかけでした。
自分も喪失を経験したことで、悲しみにどう向き合うかを学び、
その後、資格も取得しました。
父の存在が、今の自分の仕事の軸をつくってくれたのだと思います。
花屋仁助では、葬儀だけでなく、祭壇や供花の生花装飾もすべて自社で手がけています。
自分たちの手で一つひとつの花を整え、故人への想いを形にしていく。
また、他の葬儀社様への葬祭用生花の納品も行っており、
地域全体の“お別れの場”を支えています。
さらに、事務所内にはショールームも設けており、
骨壺や棺などを実際に見て選べるようになっています。
近年は“終活”という言葉も浸透し、
ご自身の希望を事前に相談される方も増えました。
「自分らしい最期を迎えたい」という声に、
一つひとつ丁寧にお応えしています。
この言葉は、代々大切に受け継がれてきたもの。
さまざまな事情を抱えたご家族もいらっしゃいますが、
不思議と最後は“感謝”で終わるんです。
その“感謝”の気持ちを、私たちは「まごころ」と表現しています。
葬儀の現場で私が何よりも大切にしているのは、“寄り添うこと”です。
この業界では「グリーフサポート」と呼ばれますが、
ご遺族だけでなく、友人、知人、時にはペットなど、
人は“自分らしさ”を形づくるさまざまな存在に囲まれて生きています。
だからこそ、大切な人を失うということは、
自分の一部を失うような変化でもある。
私たちの役目は、助言をすることではなく、話を聴くこと。
その時間の中で少しでも心が軽くなる瞬間があれば、それでいいと思っています。
スタッフ全員がそうした姿勢を共有し、
“寄り添う力”を大切に日々の仕事にあたっています。
実は私自身、このグリーフサポートの大切さを痛感したのは、父の死がきっかけでした。
自分も喪失を経験したことで、悲しみにどう向き合うかを学び、
その後、資格も取得しました。
父の存在が、今の自分の仕事の軸をつくってくれたのだと思います。
花屋仁助では、葬儀だけでなく、祭壇や供花の生花装飾もすべて自社で手がけています。
自分たちの手で一つひとつの花を整え、故人への想いを形にしていく。
また、他の葬儀社様への葬祭用生花の納品も行っており、
地域全体の“お別れの場”を支えています。
さらに、事務所内にはショールームも設けており、
骨壺や棺などを実際に見て選べるようになっています。
近年は“終活”という言葉も浸透し、
ご自身の希望を事前に相談される方も増えました。
「自分らしい最期を迎えたい」という声に、
一つひとつ丁寧にお応えしています。
故人を想う“その先へ”
心をつなぐ花火と、寄り添いのかたち
私たちがもう一つ大切にしていることがあります。
それは、葬儀のあともご遺族の方に寄り添い続けること。
花屋仁助では、葬儀後に故人の月命日に仏花をお届けする取り組みを行っています。
これは、「寄り添う・支える」という私たちの想いを、形にしたものです。
四十九日までは、ご家族のもとに多くの人が訪れ、
お話をする機会もあります。
けれど、四十九日を過ぎると、
少しずつ人の出入りが減り、静けさが戻ってくる。
そのときに、ぽっかりと心に穴が空くような感覚を抱かれる方も多いんです。
そんなとき、私たちができることは何か——と考え、
1年間、月命日に仏花を届けて「おかわりないですか?」と声をかける
無料のサービスを始めました。
ほんの短い時間でも、誰かが気にかけてくれている。
それだけで、心が少し軽くなる瞬間があると信じています。
そして、もうひとつの取り組みが、毎年お盆に打ち上げる花火です。
私たちが1年間にお手伝いさせていただいた方々のお名前を、
花火の玉に貼りつけて空へと打ち上げています。
また、ご遺族からお預かりしたメッセージも一緒に添えて、夜空へと届けています。
この取り組みは、今年で12回目を迎えました。
きっかけは、私が担当したご遺族の一言でした。
ある奥様が「亡くなった主人に、思いを綴った手紙をずっと骨壺のそばに置いているの」
と話してくださったんです。
その言葉を聞いたとき、胸が熱くなりました。
“投函すれば届く普通の手紙のように、亡くなった人にも思いを届けられたら——”
そう思い、「花火に想いを乗せて空へ届けよう」と考えました。
以来、毎年夏の夜空に花火を打ち上げるたび、
大切な人を想う気持ちがひとつの光となって広がっていく。
会場では涙を流す方も多く、その姿を見るたびに、
“この取り組みを続けてよかった”と感じます。
そして今年、法人化58年の節目を迎えたことを機に、
新しい挑戦として“花火をイメージしたオリジナル棺”の制作を始めました。
棺には小さな花火玉を一つ付け、ご家族に想いを書いてもらいます。
その玉を翌年の花火大会で打ち上げる——
そんな“想いをつなぐ”かたちをつくりました。
この花火の取り組みがきっかけで、
今年は芸人の田村淳さんと対談する機会もいただきました。
田村さんもお母様を亡くされていて、
「お母様へメッセージを書いて花火に託しませんか」とお話しし、
8月16日、実際に打ち上げをさせていただきました。
夜空に広がる光を見上げながら、
“どんな人にも、大切な誰かがいる”ということを、改めて感じました。
それは、葬儀のあともご遺族の方に寄り添い続けること。
花屋仁助では、葬儀後に故人の月命日に仏花をお届けする取り組みを行っています。
これは、「寄り添う・支える」という私たちの想いを、形にしたものです。
四十九日までは、ご家族のもとに多くの人が訪れ、
お話をする機会もあります。
けれど、四十九日を過ぎると、
少しずつ人の出入りが減り、静けさが戻ってくる。
そのときに、ぽっかりと心に穴が空くような感覚を抱かれる方も多いんです。
そんなとき、私たちができることは何か——と考え、
1年間、月命日に仏花を届けて「おかわりないですか?」と声をかける
無料のサービスを始めました。
ほんの短い時間でも、誰かが気にかけてくれている。
それだけで、心が少し軽くなる瞬間があると信じています。
そして、もうひとつの取り組みが、毎年お盆に打ち上げる花火です。
私たちが1年間にお手伝いさせていただいた方々のお名前を、
花火の玉に貼りつけて空へと打ち上げています。
また、ご遺族からお預かりしたメッセージも一緒に添えて、夜空へと届けています。
この取り組みは、今年で12回目を迎えました。
きっかけは、私が担当したご遺族の一言でした。
ある奥様が「亡くなった主人に、思いを綴った手紙をずっと骨壺のそばに置いているの」
と話してくださったんです。
その言葉を聞いたとき、胸が熱くなりました。
“投函すれば届く普通の手紙のように、亡くなった人にも思いを届けられたら——”
そう思い、「花火に想いを乗せて空へ届けよう」と考えました。
以来、毎年夏の夜空に花火を打ち上げるたび、
大切な人を想う気持ちがひとつの光となって広がっていく。
会場では涙を流す方も多く、その姿を見るたびに、
“この取り組みを続けてよかった”と感じます。
そして今年、法人化58年の節目を迎えたことを機に、
新しい挑戦として“花火をイメージしたオリジナル棺”の制作を始めました。
棺には小さな花火玉を一つ付け、ご家族に想いを書いてもらいます。
その玉を翌年の花火大会で打ち上げる——
そんな“想いをつなぐ”かたちをつくりました。
この花火の取り組みがきっかけで、
今年は芸人の田村淳さんと対談する機会もいただきました。
田村さんもお母様を亡くされていて、
「お母様へメッセージを書いて花火に託しませんか」とお話しし、
8月16日、実際に打ち上げをさせていただきました。
夜空に広がる光を見上げながら、
“どんな人にも、大切な誰かがいる”ということを、改めて感じました。
人に寄り添い、想いをつなぐ
“ありがとう”のためにできること
私たちの仕事は、葬儀のお手伝いだけではありません。
近年では、「自分の最期を自分で決めたい」という方も増えており、
生前からご相談をいただくこともあります。
ある方との出会いが、今でも忘れられません。
その方は、私の父と同じ病気を患われていました。
最初の打ち合わせは病院で行われ、
「自分はこういう形で送りたい」と、ご本人がはっきりと話してくださったんです。
ただ、ご家族の想いは少し違っていました。
ご本人の願いとご家族の希望。
どちらも大切だからこそ、私はその“間に立つ”役割を務めさせてもらいました。
「ここはこうしてみましょう」「でも、こちらはこのままでいいと思います」と、
それぞれの想いを丁寧につないでいくうちに、
気づけばご本人もご家族も泣いていて、
そして私自身も涙が止まりませんでした。
そのとき改めて感じたのは、
この仕事は“人の想い”を預かる仕事なんだということ。
葬儀が無事に終わったあと、
「ありがとう」と言ってもらえた瞬間。
それが、何よりも嬉しい瞬間です。
もちろん、ここまで来るまでには苦労もたくさんありました。
26歳で突然社長を引き継ぎ、何もわからない状態からのスタートでした。
銀行との付き合い方も、業界の仕組みもわからず、
とにかく“学ぶしかない”と思い、加茂青年会議所(JC)に入りました。
経営のこと、人との関わり方、地域でのあり方、
そのすべてを、先輩方や仲間から教えてもらいました。
2年、3年は本当に勉強の日々でした。
県内外で情報交換を重ね、月の半分は出張していた時期もあります。
病室で父から「もしもの時は会社を頼むぞ」と言われたとき、
“まだまだ先のこと”だと思っていました。
でも現実は突然で、何も準備ができていなかった。
それでも支えてくれた社員や地域の人たちのおかげで、少しずつ前に進めました。
時代の流れとともに、「家族葬」など小規模で温かいお葬式が増えてきた頃、
私は新たに貸し切りで使える会館を建設しました。
「ご家族だけでゆっくりお別れをしてほしい」そんな想いからです。
会館にはキッチンも完備しています。
故人が生前好きだった料理を作って、
みんなで囲みながら思い出を語っていただく。
私たちスタッフは、基本的にその空間に立ち入りません。
“ご家族だけの時間”を大切にしてほしいからです。
そこには、“葬儀”という言葉だけでは言い表せない、
人の絆とあたたかさがあります。
それを感じてもらえる空間づくりを、これからも続けていきたいと思っています。
近年では、「自分の最期を自分で決めたい」という方も増えており、
生前からご相談をいただくこともあります。
ある方との出会いが、今でも忘れられません。
その方は、私の父と同じ病気を患われていました。
最初の打ち合わせは病院で行われ、
「自分はこういう形で送りたい」と、ご本人がはっきりと話してくださったんです。
ただ、ご家族の想いは少し違っていました。
ご本人の願いとご家族の希望。
どちらも大切だからこそ、私はその“間に立つ”役割を務めさせてもらいました。
「ここはこうしてみましょう」「でも、こちらはこのままでいいと思います」と、
それぞれの想いを丁寧につないでいくうちに、
気づけばご本人もご家族も泣いていて、
そして私自身も涙が止まりませんでした。
そのとき改めて感じたのは、
この仕事は“人の想い”を預かる仕事なんだということ。
葬儀が無事に終わったあと、
「ありがとう」と言ってもらえた瞬間。
それが、何よりも嬉しい瞬間です。
もちろん、ここまで来るまでには苦労もたくさんありました。
26歳で突然社長を引き継ぎ、何もわからない状態からのスタートでした。
銀行との付き合い方も、業界の仕組みもわからず、
とにかく“学ぶしかない”と思い、加茂青年会議所(JC)に入りました。
経営のこと、人との関わり方、地域でのあり方、
そのすべてを、先輩方や仲間から教えてもらいました。
2年、3年は本当に勉強の日々でした。
県内外で情報交換を重ね、月の半分は出張していた時期もあります。
病室で父から「もしもの時は会社を頼むぞ」と言われたとき、
“まだまだ先のこと”だと思っていました。
でも現実は突然で、何も準備ができていなかった。
それでも支えてくれた社員や地域の人たちのおかげで、少しずつ前に進めました。
時代の流れとともに、「家族葬」など小規模で温かいお葬式が増えてきた頃、
私は新たに貸し切りで使える会館を建設しました。
「ご家族だけでゆっくりお別れをしてほしい」そんな想いからです。
会館にはキッチンも完備しています。
故人が生前好きだった料理を作って、
みんなで囲みながら思い出を語っていただく。
私たちスタッフは、基本的にその空間に立ち入りません。
“ご家族だけの時間”を大切にしてほしいからです。
そこには、“葬儀”という言葉だけでは言い表せない、
人の絆とあたたかさがあります。
それを感じてもらえる空間づくりを、これからも続けていきたいと思っています。
想いをつなぎ、共に歩む
“まごころ”を未来へ
いま、花屋仁助のスタッフは女性が多く活躍しています。
今年も5名の新しい仲間が加わりました。
その中の一人は、私たちが毎年行っている花火のイベントをきっかけに応募してくれた方でした。
「花屋仁助の葬儀って温かいよね」と感じてくれて、
“ここで働いてみたい”と思ってくれたそうです。
会社の想いを知って共感してもらえたことが、本当に嬉しかったですね。
あの花火を続けてきてよかったと、心から思いました。
スタッフには、うちの“色”をしっかり理解してもらいたくて、
以前は「社長塾」という時間を設けていました。
題材はスタッフが決め、私はそのテーマに沿って話をする。
「遺族との関わり方」「寄り添い方」「型にはまらない葬儀のつくり方」
みんなで話し合いながら、仁助らしい葬儀とは何かを考えてきました。
たとえば、あるお葬式では故人が好きだったゴルフ場をイメージして、
入口から空間全体をつくり上げたこともあります。
お寺様による読経など、儀式として大切な部分はしっかり行う。
でも、それ以外の部分で“その方らしさ”をどう表現できるか、
そこにこそ、私たちの役割があると思っています。
私自身、現場で祭壇の花を飾っていたころから、
同じ祭壇をつくったことは一度もありません。
故人の人柄や好きなものを聞いてイメージし、
毎回、その方だけの祭壇をつくるようにしてきました。
そして、祭壇は私たちだけで完成させるものではないと思っています。
「最後の一手」は、ご家族に加えていただくんです。
どんなに美しく飾っても、そこにご家族の“想い”が入っていなければ、
本当の意味での完成にはならない。
「よかったら、一緒にお花を挿しませんか?」
そうお声がけすると、多くの方が涙をこらえながらお花を手に取ってくださいます。
その姿を見るたびに、“この仕事をしていてよかった”と感じます。
型にとらわれず、故人とご遺族の想いをくみ取りながら送り出すこと。
それが、私たちの葬儀です。
これからも、スタッフと共に成長しながら、
さまざまなことにチャレンジしていきたい。
そして、地域の方々に寄り添える“まごころの仁助”であり続けたいと思います。
今年も5名の新しい仲間が加わりました。
その中の一人は、私たちが毎年行っている花火のイベントをきっかけに応募してくれた方でした。
「花屋仁助の葬儀って温かいよね」と感じてくれて、
“ここで働いてみたい”と思ってくれたそうです。
会社の想いを知って共感してもらえたことが、本当に嬉しかったですね。
あの花火を続けてきてよかったと、心から思いました。
スタッフには、うちの“色”をしっかり理解してもらいたくて、
以前は「社長塾」という時間を設けていました。
題材はスタッフが決め、私はそのテーマに沿って話をする。
「遺族との関わり方」「寄り添い方」「型にはまらない葬儀のつくり方」
みんなで話し合いながら、仁助らしい葬儀とは何かを考えてきました。
たとえば、あるお葬式では故人が好きだったゴルフ場をイメージして、
入口から空間全体をつくり上げたこともあります。
お寺様による読経など、儀式として大切な部分はしっかり行う。
でも、それ以外の部分で“その方らしさ”をどう表現できるか、
そこにこそ、私たちの役割があると思っています。
私自身、現場で祭壇の花を飾っていたころから、
同じ祭壇をつくったことは一度もありません。
故人の人柄や好きなものを聞いてイメージし、
毎回、その方だけの祭壇をつくるようにしてきました。
そして、祭壇は私たちだけで完成させるものではないと思っています。
「最後の一手」は、ご家族に加えていただくんです。
どんなに美しく飾っても、そこにご家族の“想い”が入っていなければ、
本当の意味での完成にはならない。
「よかったら、一緒にお花を挿しませんか?」
そうお声がけすると、多くの方が涙をこらえながらお花を手に取ってくださいます。
その姿を見るたびに、“この仕事をしていてよかった”と感じます。
型にとらわれず、故人とご遺族の想いをくみ取りながら送り出すこと。
それが、私たちの葬儀です。
これからも、スタッフと共に成長しながら、
さまざまなことにチャレンジしていきたい。
そして、地域の方々に寄り添える“まごころの仁助”であり続けたいと思います。
会社情報
| 会社名略称. | 有限会社花屋仁助 |
|---|---|
| 勤務先名 | 有限会社花屋仁助本社/本店 |
| 本社住所 | 新潟県加茂市幸町1‐10‐1 |
| 代表者名 | 代表取締役社長 石附 大昌様 |
| 1年後〜3年後の目標 | 人の役に立ちたいという想いを何より大切にしています。 そのために、「悔いのない葬儀」をあげてほしいという気持ちがあります。 現在は田上や加茂を中心に活動していますが、これからは少しずつエリアを広げながら、 大切な人のご葬儀を、まごころ込めてお手伝いできる場を増やしていきたいと考えています。 事業は拡大していくとしても、“温かい葬儀のスタイル”だけは変えずに続けていきたい。 私の中で一番大事にしているのは、「どう送り出してあげるか」ということ。 悔いを残さない送り方をしてあげることで、やがてそれがご家族の“感謝”に変わっていく。 そんなお手伝いができたら、これほど嬉しいことはありません。 そして経営理念にもあるように、これからも——「一番“ありがとう”が集まる葬儀屋」を 目指して、歩み続けていきたいと思っています。 |
| こんな人に会いたい | 不器用でもいい。 大切なのは、優しさと、素直に感情を表せることだと思っています。 悲しいときは、一緒に泣いてもいいんです。 実際に、葬儀の司会をしながら涙を流しているスタッフもいます。 でも、それは決して恥ずかしいことではありません。 むしろ、本当にご家族に寄り添えている証だと思うんです。 感情を表に出すことは、自然なこと。 そんな心のあたたかい人と、一緒に働いていけたら嬉しいですね。 「まごころのお葬式 花屋仁助」で、一緒に温かいご葬儀をお手伝いしてほしいと思っています。 |
| 事業内容 | 葬祭業 |
| その他 | こちらもご覧ください‼ 《Instagram》 @nisuke.kamo 《Facebook》 花屋仁助 |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
| 取材者名 | ㈱採用戦略研究所 土田 |
|---|---|
| 住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
| 電話番号 | 070‐6433‐5645 |
| 事務所HP | https://rs-lab.jp |