次の100年も、地元のお米で伝統の辛口を。奥阿賀の豊かな自然が育んだ味わいを、これからも大切に。【代表 齋藤俊太郎氏】
麒麟山酒造株式会社
林業から“酒造りの道”へ
七代目として見つめた歴史の重み
天保14年(1843年)に酒造りを始めてから、私たちは阿賀の山や川に教わりながら、毎日の食卓にすっと馴染む“淡麗辛口”を磨いてきました。派手さよりも、飲み飽きしないこと。変えるべきところは変えつつ、変えてはいけない芯は守る__そんな覚悟で、今も蔵の火を灯しています。
齋藤家はもともと、山の木を切り、炭にし、それを販売する林業や木炭業を営み、山の恵みとともに生きてきました。その傍らで1843年に酒造りを開始し、明治の半ばには酒造業へ一本化していきました。
私自身、子どもの頃は蔵の中が生活の場で、学校から帰れば麹や酒の香りがふわっと迎えてくれる。そんな日常でした。家族や地域の大人たちから「頑張れよ。頼んだぞ。」と声をかけられるうちに、自然と“自分が継ぐんだろうな”という意識が芽生えていったように思います。
大学を卒業してからは広告会社で5年程働きましたが、30歳を目処に家業へ戻ると決めていました。
先人たちが守ってきた酒造りは、この地域にとっても、私自身にとっても、とても大切なもの。だからこそ、“この土地の酒をこの先も残していきたい”という思いで、七代目として蔵に入りました。
齋藤家はもともと、山の木を切り、炭にし、それを販売する林業や木炭業を営み、山の恵みとともに生きてきました。その傍らで1843年に酒造りを開始し、明治の半ばには酒造業へ一本化していきました。
私自身、子どもの頃は蔵の中が生活の場で、学校から帰れば麹や酒の香りがふわっと迎えてくれる。そんな日常でした。家族や地域の大人たちから「頑張れよ。頼んだぞ。」と声をかけられるうちに、自然と“自分が継ぐんだろうな”という意識が芽生えていったように思います。
大学を卒業してからは広告会社で5年程働きましたが、30歳を目処に家業へ戻ると決めていました。
先人たちが守ってきた酒造りは、この地域にとっても、私自身にとっても、とても大切なもの。だからこそ、“この土地の酒をこの先も残していきたい”という思いで、七代目として蔵に入りました。
酒米づくりに30年かけた
阿賀町産への道のり
私たちの事業の核は、日本酒の製造と販売です。
その中で、麒麟山酒造の大きな特徴といえるのが、原料となる米づくりから関わっていることです。
今から約30年前、この地域の気候や土壌の良さに改めて向き合い、地域の農家さんたちと一緒に酒米づくりをゼロからスタートしました。当時、阿賀町では酒米はほとんど作られておらず、品種選びから栽培方法まで、試行錯誤しながら仲間を増やし、栽培面積を広げてきました。
そして2011年には、社内に“酒米栽培の専門部門”を設置。
自分たちの手でも米づくりに挑戦し、経験と知見を積み重ねていきました。
その結果2018年、ついに仕込み米の100%を阿賀町産でまかなえるようになりました。
栽培地はすべて蔵の半径10km以内。
春から秋にかけて、酒米は仕込み水と同じ常浪川(とこなみがわ)の超軟水を吸って育ち、収穫後すぐに仕込みへと進む。そんな流れが自然とできています。
この“100%地元産米”の取り組みは、実現までおよそ30年。
地道に続けてきた結果ですが、こうした取り組みは全国的にも珍しいと言われています。
販売は今も県内が中心で、比率はおよそ80%ほどです。
問屋さんを通して酒屋さんや飲食店、量販店やコンビニなどに並びます。
EC販売はまだ始めたばかりで、これから少しずつ整えていくところです。
地元で育った米を、地元の水で仕込み、地元の方に飲んでいただく。
この流れが、私たちが大切にしてきた酒造りのかたちです。
その中で、麒麟山酒造の大きな特徴といえるのが、原料となる米づくりから関わっていることです。
今から約30年前、この地域の気候や土壌の良さに改めて向き合い、地域の農家さんたちと一緒に酒米づくりをゼロからスタートしました。当時、阿賀町では酒米はほとんど作られておらず、品種選びから栽培方法まで、試行錯誤しながら仲間を増やし、栽培面積を広げてきました。
そして2011年には、社内に“酒米栽培の専門部門”を設置。
自分たちの手でも米づくりに挑戦し、経験と知見を積み重ねていきました。
その結果2018年、ついに仕込み米の100%を阿賀町産でまかなえるようになりました。
栽培地はすべて蔵の半径10km以内。
春から秋にかけて、酒米は仕込み水と同じ常浪川(とこなみがわ)の超軟水を吸って育ち、収穫後すぐに仕込みへと進む。そんな流れが自然とできています。
この“100%地元産米”の取り組みは、実現までおよそ30年。
地道に続けてきた結果ですが、こうした取り組みは全国的にも珍しいと言われています。
販売は今も県内が中心で、比率はおよそ80%ほどです。
問屋さんを通して酒屋さんや飲食店、量販店やコンビニなどに並びます。
EC販売はまだ始めたばかりで、これから少しずつ整えていくところです。
地元で育った米を、地元の水で仕込み、地元の方に飲んでいただく。
この流れが、私たちが大切にしてきた酒造りのかたちです。
淡麗辛口がこの土地に根づく理由
麒麟山らしい酒造り
麒麟山酒造の強みはやはり“淡麗辛口”です。
この土地は、山の幸や塩気のある料理が多い地域で、昔から毎晩の晩酌に好まれており、その暮らしに寄り添ってきたのが、飲み飽きせず、すっと入る辛口の味わいでした。
とはいえ、淡麗辛口を“同じように造り続ける”ことは簡単ではありません。 酒米の出来も、その年の気温や湿度、麹や酵母の状態も毎年違います。 目に見えない微生物を相手にする以上、「こうすれば毎年同じ味」という正解はありません。 だからこそ、自然の変化を読みながら味を整える感覚や経験が欠かせません。それが長く続く酒蔵の技術だと感じています。
看板商品「伝統辛口」は、今も全体の約7割を占める一本です。 地域の方々の日常を支えてきた味であり、これからも守っていきたい軸でもあります。
一方で、飲み方の多様化にも挑戦しています。 特に最近は、「少しの量で楽しむ」「料理や空間に合わせる」など、飲むスタイルが大きく変わってきました。
そこで淡麗辛口を軸にしながら、飲み方を広げる提案もしています。
たとえば、「麒麟山サワー」は、伝統辛口を炭酸で割り、レモンを絞って飲む。 清涼感があり、居酒屋さんでも人気が出てきました。
この体験から生まれたのが、若手社員のアイデアをもとにした「麒麟山レモネード」です。 日本酒は冷でも燗でも楽しめますが、アレンジすることで幅がさらに広がり、もっと身近に感じてもらえたらと思っています。
今も工程ごとの温度管理や判断は、人の感覚に支えられています。
「すべて機械に任せる」のではなく、人の手が必要なところは人がしっかり見る。
その積み重ねが、味わいの安定につながっています。
変わるところと、変えないところ。
そのバランスを探りながら、これからも麒麟山らしい酒をつくり続けていきます。
この土地は、山の幸や塩気のある料理が多い地域で、昔から毎晩の晩酌に好まれており、その暮らしに寄り添ってきたのが、飲み飽きせず、すっと入る辛口の味わいでした。
とはいえ、淡麗辛口を“同じように造り続ける”ことは簡単ではありません。 酒米の出来も、その年の気温や湿度、麹や酵母の状態も毎年違います。 目に見えない微生物を相手にする以上、「こうすれば毎年同じ味」という正解はありません。 だからこそ、自然の変化を読みながら味を整える感覚や経験が欠かせません。それが長く続く酒蔵の技術だと感じています。
看板商品「伝統辛口」は、今も全体の約7割を占める一本です。 地域の方々の日常を支えてきた味であり、これからも守っていきたい軸でもあります。
一方で、飲み方の多様化にも挑戦しています。 特に最近は、「少しの量で楽しむ」「料理や空間に合わせる」など、飲むスタイルが大きく変わってきました。
そこで淡麗辛口を軸にしながら、飲み方を広げる提案もしています。
たとえば、「麒麟山サワー」は、伝統辛口を炭酸で割り、レモンを絞って飲む。 清涼感があり、居酒屋さんでも人気が出てきました。
この体験から生まれたのが、若手社員のアイデアをもとにした「麒麟山レモネード」です。 日本酒は冷でも燗でも楽しめますが、アレンジすることで幅がさらに広がり、もっと身近に感じてもらえたらと思っています。
今も工程ごとの温度管理や判断は、人の感覚に支えられています。
「すべて機械に任せる」のではなく、人の手が必要なところは人がしっかり見る。
その積み重ねが、味わいの安定につながっています。
変わるところと、変えないところ。
そのバランスを探りながら、これからも麒麟山らしい酒をつくり続けていきます。
若手の発想も届く
意見が育つ、そんな職場のあたたかさ
酒造りは一か所で完結するわけではなく、米を蒸す場所、仕込みタンク、洗米の工程など、現場はいくつもの区画に分かれています。勤務時間は基本的に全員同じですが、工程によっては“下準備”が必要なところもあり、早番が段取りを整えるなど、それぞれの持ち場に合わせた動きがあります。
秋から春は仕込み、春以降は田んぼや蔵のメンテナンスを行い、一年を通して常に動き続ける現場です。
メンバーは若手からベテランまで幅広く、作業は各部署の担当が丁寧に教えていきます。また、社員の学びの場として「新潟清酒学校」などの業界研修にも積極的に参加しています。製造担当だけでなく営業の社員も通い、酒造りの基礎から経営・販売まで、幅広く学べる機会になっています。
社内の雰囲気は堅苦しいものではなく、昔ながらの“飲む場”がコミュニケーションの中心です。新年会や忘年会、仕込みの節目の“お疲れさま会”など、顔を合わせて話す時間を大切にしています。もちろん、車通勤の社員やお酒が苦手な人には無理をさせませんが、こうした場が社内の距離を縮めていると感じています。昔からの名残で、給料日に「伝統辛口を2本」持ち帰るという小さな楽しみも続いています。
組織づくりで何より大切にしているのは、「好奇心を持つこと」と「その声を素直に言えること」。
新しい商品づくりが若手のアイデアから生まれたように、誰でも意見を言いやすい雰囲気であることが、良い酒づくりにつながると感じています。
“声を出していい職場”であること。
その空気こそ、麒麟山の味を支えているのかもしれません。
秋から春は仕込み、春以降は田んぼや蔵のメンテナンスを行い、一年を通して常に動き続ける現場です。
メンバーは若手からベテランまで幅広く、作業は各部署の担当が丁寧に教えていきます。また、社員の学びの場として「新潟清酒学校」などの業界研修にも積極的に参加しています。製造担当だけでなく営業の社員も通い、酒造りの基礎から経営・販売まで、幅広く学べる機会になっています。
社内の雰囲気は堅苦しいものではなく、昔ながらの“飲む場”がコミュニケーションの中心です。新年会や忘年会、仕込みの節目の“お疲れさま会”など、顔を合わせて話す時間を大切にしています。もちろん、車通勤の社員やお酒が苦手な人には無理をさせませんが、こうした場が社内の距離を縮めていると感じています。昔からの名残で、給料日に「伝統辛口を2本」持ち帰るという小さな楽しみも続いています。
組織づくりで何より大切にしているのは、「好奇心を持つこと」と「その声を素直に言えること」。
新しい商品づくりが若手のアイデアから生まれたように、誰でも意見を言いやすい雰囲気であることが、良い酒づくりにつながると感じています。
“声を出していい職場”であること。
その空気こそ、麒麟山の味を支えているのかもしれません。
日本酒が地域を照らす未来へ
これからの展望
日本酒を造るためには、お米が欠かせません。
そして、その米を育てるのは地元の農家さんです。
食べるお米の消費が全国的に減っているいま、農家さんが米づくりを続けていくためには、「酒米」というもうひとつの役割が地域にあることが、とても大きな支えになります。
お米の値段が不安定になっている状況もありますが、蔵がこの地域で酒造りを続けることで、農家さんがこの土地で米をつくり続けられる環境が残っていく。それが、麒麟山酒造の存在意義の一つだと思っています。
そして、これは私の願いでもありますが、いつか阿賀町の若い人たちが県外や海外へ羽ばたいた時、ふと胸の奥で思い出してくれるような存在でありたい。
「うちの町には、麒麟山っていう酒があるんだ」
そんなふうに、故郷を思い出すきっかけになれたら、これ以上の喜びはありません。
お酒は単なる嗜好品ではなく、“地域の文化”であり“誇り”であり、“暮らしの記憶”だと思っています。
麒麟山が、この地域の豊かさにつながってほしい。それが、七代目としての素直な気持ちです。
そして、その米を育てるのは地元の農家さんです。
食べるお米の消費が全国的に減っているいま、農家さんが米づくりを続けていくためには、「酒米」というもうひとつの役割が地域にあることが、とても大きな支えになります。
お米の値段が不安定になっている状況もありますが、蔵がこの地域で酒造りを続けることで、農家さんがこの土地で米をつくり続けられる環境が残っていく。それが、麒麟山酒造の存在意義の一つだと思っています。
そして、これは私の願いでもありますが、いつか阿賀町の若い人たちが県外や海外へ羽ばたいた時、ふと胸の奥で思い出してくれるような存在でありたい。
「うちの町には、麒麟山っていう酒があるんだ」
そんなふうに、故郷を思い出すきっかけになれたら、これ以上の喜びはありません。
お酒は単なる嗜好品ではなく、“地域の文化”であり“誇り”であり、“暮らしの記憶”だと思っています。
麒麟山が、この地域の豊かさにつながってほしい。それが、七代目としての素直な気持ちです。
会社情報
| 会社名略称. | 麒麟山酒造株式会社 |
|---|---|
| 勤務先名 | 麒麟山酒造株式会社 |
| 本社住所 | 新潟県東蒲原郡阿賀町津川46 |
| 代表者名 | 代表 齋藤 俊太郎様 |
| 1年後〜3年後の目標 | コロナが明け、ようやく落ち着きが戻ってきた今、 日本酒の楽しみ方自体が大きく変わってきたと感じています。 「量より質」「料理や空間に合わせて楽しむ」 そんなスタイルが定着しはじめ、 “日常の中での酒との向き合い方”が新しく形づくられてきました。 その変化に合わせ、私たちもこの2〜3年で挑戦したいことがあります。 まずは、これまで大切にしてきた “淡麗辛口” をしっかり軸に置きながら、 飲み方の多様性に寄り添った提案を広げていくこと。 若手のアイデアから生まれた「麒麟山レモネード」をはじめ、 麒麟山の商品をもっと気軽に、もっと楽しく味わってもらえる売り場づくりや商品展開に取り組みたいと考えています。 淡麗辛口という芯があるからこそ、 守りながらも挑戦できる。 この地域の味を次の世代へつないでいくために、 新しい形の“麒麟山の楽しみ方”をつくっていきたいと思っています。 |
| こんな人に会いたい | これからの麒麟山酒造に必要なのは、“好奇心を持って食と向き合える人” だと思っています。 私たちのお酒は、料理や食卓と一緒に育ってきました。 だからこそ、食べるものに興味を持ち、自分なりに考えて楽しめる人と一緒に働きたいですね。 酒造りには、決まりきった正解がありません。 だからこそ、「こうしたらどうだろう」と声を出せる人が、現場を明るくしてくれます。 麒麟山は、自然と人がつないできた蔵です。 その輪の中に、新しい風を運んでくれるような人と出会えたらと思っています。 |
| 事業内容 | ■酒類製造販売 ■原料米の栽培 ■副産物を原料とした食品の製造販売 |
| メッセージ | こちらもご覧ください! 【HP】https://kirinzan.co.jp/ 【Instagram】@kirinzan |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
| 取材者名 | ㈱採用戦略研究所 小林 |
|---|---|
| 住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
| 電話番号 | 070-1476-9740 |
| 事務所HP | https://rs-lab.jp/ |