未来の子どもたちへつなぐ「食は命なり」__魚沼・津南の地で貫いた、“本物の農業”のかたち。【代表 大島知美氏】
株式会社ごはん
原点
“何も足さない米づくり”を決めた日
私は若いころ、農協の青壮年部で副委員長を務めていました。
ちょうど、MA米(輸入米)の議論が高まっていた時代、カリフォルニアの稲作現場を視察する機会をもらいました。
そこで見たのは、セスナでタネをまき、広大な田んぼを一気に育てる、日本とはまるでスケールの違う農業でした。乾いた気候と日照時間に恵まれ、合理的なシステムが整っている。正直、日本の常識はまったく通用しないと感じました。
ただ同時に、米を輸出する段階で「燻蒸(くんじょう)」という工程を経ることも知りました。
防虫や防疫のためとはいえ、せっかく安全に作ったお米が、国境を越える時に薬剤で処理されてしまう__その現実に、強い違和感を覚えたのです。
その瞬間、心の中で決めました。
「日本で、できる限り何も足さない米づくりをやる」。
それが、私の人生の方向を決めた原点であり、のちの株式会社ごはんのはじまりです。
1991年9月、道路わきのプレハブ一棟から会社を立ち上げました。
花や野菜、そして米を並べ販売を始めたのが最初です。
最初から“完全無農薬”一本ではなく、無農薬・減農薬・特別栽培と段階を設け、「お客様に正直に選んでもらう」ことを大切にしてきました。
この小さなプレハブから、私たちの“まっすぐなごはんづくり”が始まりました。
ちょうど、MA米(輸入米)の議論が高まっていた時代、カリフォルニアの稲作現場を視察する機会をもらいました。
そこで見たのは、セスナでタネをまき、広大な田んぼを一気に育てる、日本とはまるでスケールの違う農業でした。乾いた気候と日照時間に恵まれ、合理的なシステムが整っている。正直、日本の常識はまったく通用しないと感じました。
ただ同時に、米を輸出する段階で「燻蒸(くんじょう)」という工程を経ることも知りました。
防虫や防疫のためとはいえ、せっかく安全に作ったお米が、国境を越える時に薬剤で処理されてしまう__その現実に、強い違和感を覚えたのです。
その瞬間、心の中で決めました。
「日本で、できる限り何も足さない米づくりをやる」。
それが、私の人生の方向を決めた原点であり、のちの株式会社ごはんのはじまりです。
1991年9月、道路わきのプレハブ一棟から会社を立ち上げました。
花や野菜、そして米を並べ販売を始めたのが最初です。
最初から“完全無農薬”一本ではなく、無農薬・減農薬・特別栽培と段階を設け、「お客様に正直に選んでもらう」ことを大切にしてきました。
この小さなプレハブから、私たちの“まっすぐなごはんづくり”が始まりました。
挑戦
“無理だ”と言われた道
無農薬や有機栽培に取り組み始めた当初、周りの反応は決して温かいものではありませんでした。
「そんなの無理だ」「病気になる」「うまく育たない」そんな言葉を何度も浴びました。
農村というのは、いい意味でも悪い意味でも“横並び”の文化があります。
人と違うことをすると、どうしても目立ってしまう。
「変わり者だ」「お前のせいで虫が来た」と、嫌がらせや陰口を言われたことも一度や二度ではありません。
でも私は、「必ずこの時代が来る」と信じていました。
5年、10年後には、きっと「体に優しい」「自然に近い」米が求められるようになる。
その確信だけを支えに、毎日田んぼに立ち続けました。
ところが、実際には思っていたよりもずっと長い時間がかかりました。
ようやく世の中が“有機”や“無農薬”という言葉を口にするようになったのは、始めてから35年も経ったあとのことです。
農薬を使わずに育てるというのは、理屈ではなく“覚悟”の世界です。
それでも、やめようと思ったことは一度もありません。
なぜなら、“母なる大地のつくり方”こそがすべての基本だと信じていたからです。
どんな作物でも、土の中の力がしっかりしていれば、病気にも、虫にも負けない。
だから、私たちの会社では農薬を減らす代わりに、土づくりにとことん手間をかけました。
小さな田んぼ一枚ごとに違う“性格”を見極めながら、何十年も改良を重ねてきたんです。
ただ、それだけやり続けたからこそ、「やっぱり本物は時間がかかる」ということを身をもって知りました。
これが、私にとっての誇りであり、「株式会社ごはん」という名前に込めた信念そのものなんです。
「そんなの無理だ」「病気になる」「うまく育たない」そんな言葉を何度も浴びました。
農村というのは、いい意味でも悪い意味でも“横並び”の文化があります。
人と違うことをすると、どうしても目立ってしまう。
「変わり者だ」「お前のせいで虫が来た」と、嫌がらせや陰口を言われたことも一度や二度ではありません。
でも私は、「必ずこの時代が来る」と信じていました。
5年、10年後には、きっと「体に優しい」「自然に近い」米が求められるようになる。
その確信だけを支えに、毎日田んぼに立ち続けました。
ところが、実際には思っていたよりもずっと長い時間がかかりました。
ようやく世の中が“有機”や“無農薬”という言葉を口にするようになったのは、始めてから35年も経ったあとのことです。
農薬を使わずに育てるというのは、理屈ではなく“覚悟”の世界です。
それでも、やめようと思ったことは一度もありません。
なぜなら、“母なる大地のつくり方”こそがすべての基本だと信じていたからです。
どんな作物でも、土の中の力がしっかりしていれば、病気にも、虫にも負けない。
だから、私たちの会社では農薬を減らす代わりに、土づくりにとことん手間をかけました。
小さな田んぼ一枚ごとに違う“性格”を見極めながら、何十年も改良を重ねてきたんです。
ただ、それだけやり続けたからこそ、「やっぱり本物は時間がかかる」ということを身をもって知りました。
これが、私にとっての誇りであり、「株式会社ごはん」という名前に込めた信念そのものなんです。
事業内容と強み
“入れない代わりに、整える”
私たちの仕事は、3つの軸で成り立っています。
まずは「つくる」
魚沼・津南の豊かな水と気候をいかして、お米を育てています。
雪解け水が田んぼに流れ込み、昼夜の寒暖差が甘みを生む。この土地の恵みこそが、おいしさの原点です。
当社は、余計なものは足さない代わりに、環境を整える。
農薬を使わないぶん、草刈りや水管理には手間がかかりますが、その手間こそが“味”をつくるんです。自然と向き合いながら、一枚一枚の田んぼを見つめ、土の声を聞きながら育てる__それが、私たちのやり方です。
そして「かえる」
これは、お米を“加工品”として生まれ変わらせる仕事です。
平成6年、冬の出稼ぎが当たり前だった時代に、「この雪国で、冬も働ける仕事をつくろう」と考え、お餅づくりを始めました。
最初は簡単にできると思っていたんですが、やってみたらとんでもなかった。
カビ、乾燥、温度、湿度__何かひとつでも狂えば、すぐに商品はダメになる。
設備も十分ではなく、出荷先でトラブルが起きたこともありました。
それでも私は諦めませんでした。
「品質で勝負する」と決めてから、原因を一つずつ潰し、衛生環境を徹底的に見直しました。
最終的には、1億円をかけて専用工場を建て、農薬も添加物も使わず、清潔な環境でお餅をつくる仕組みを整えました。“入れない”代わりに“整える”__それが、私たちの答えでした。
その努力が実を結び、今では高島屋や伊勢丹など、全国の百貨店や料亭との取引が続いています。
暮れのお歳暮シーズンには、当社のお餅ギフトが人気商品に。
“ごはんのお餅”がここまで愛されるようになったのは、素材と手間に嘘をつかないからだと思っています。
株式会社ごはんには、誰にも真似できない手間と技術があります。
「オンリーワンこそ、ナンバーワンだ」と。
誰かと比べるためじゃなく、自分たちの信じたやり方を貫く。
その結果として認められるなら、それが一番うれしい。
“ごはん”の仕事は、数字や規模ではなく、信頼の積み重ねでできているんです。
最後に「とどける」
取引先は、もう何十年とお付き合いのあるところばかりです。
百貨店、料亭、卸、通販__どれも「ごはんのお米は間違いない」と言ってくださるお客様です。
ネット販売もしていますが、私は“広く”より“深く”を選びました。
私たちの米を本当に理解してくれる人と、長く続けたい。
生産も、加工も、販売も。
すべて自分たちの目で確かめ、手で届ける。
その一貫した姿勢と技術力こそが、「株式会社ごはん」の一番の強みだと私は思っています。
まずは「つくる」
魚沼・津南の豊かな水と気候をいかして、お米を育てています。
雪解け水が田んぼに流れ込み、昼夜の寒暖差が甘みを生む。この土地の恵みこそが、おいしさの原点です。
当社は、余計なものは足さない代わりに、環境を整える。
農薬を使わないぶん、草刈りや水管理には手間がかかりますが、その手間こそが“味”をつくるんです。自然と向き合いながら、一枚一枚の田んぼを見つめ、土の声を聞きながら育てる__それが、私たちのやり方です。
そして「かえる」
これは、お米を“加工品”として生まれ変わらせる仕事です。
平成6年、冬の出稼ぎが当たり前だった時代に、「この雪国で、冬も働ける仕事をつくろう」と考え、お餅づくりを始めました。
最初は簡単にできると思っていたんですが、やってみたらとんでもなかった。
カビ、乾燥、温度、湿度__何かひとつでも狂えば、すぐに商品はダメになる。
設備も十分ではなく、出荷先でトラブルが起きたこともありました。
それでも私は諦めませんでした。
「品質で勝負する」と決めてから、原因を一つずつ潰し、衛生環境を徹底的に見直しました。
最終的には、1億円をかけて専用工場を建て、農薬も添加物も使わず、清潔な環境でお餅をつくる仕組みを整えました。“入れない”代わりに“整える”__それが、私たちの答えでした。
その努力が実を結び、今では高島屋や伊勢丹など、全国の百貨店や料亭との取引が続いています。
暮れのお歳暮シーズンには、当社のお餅ギフトが人気商品に。
“ごはんのお餅”がここまで愛されるようになったのは、素材と手間に嘘をつかないからだと思っています。
株式会社ごはんには、誰にも真似できない手間と技術があります。
「オンリーワンこそ、ナンバーワンだ」と。
誰かと比べるためじゃなく、自分たちの信じたやり方を貫く。
その結果として認められるなら、それが一番うれしい。
“ごはん”の仕事は、数字や規模ではなく、信頼の積み重ねでできているんです。
最後に「とどける」
取引先は、もう何十年とお付き合いのあるところばかりです。
百貨店、料亭、卸、通販__どれも「ごはんのお米は間違いない」と言ってくださるお客様です。
ネット販売もしていますが、私は“広く”より“深く”を選びました。
私たちの米を本当に理解してくれる人と、長く続けたい。
生産も、加工も、販売も。
すべて自分たちの目で確かめ、手で届ける。
その一貫した姿勢と技術力こそが、「株式会社ごはん」の一番の強みだと私は思っています。
この土地と人
雪と人の力で“ごはん”を育てる
津南は雪深い町です。
けれど、この雪があるからこそ、おいしい米ができる。
雪が大地を洗い、春に溶けてミネラルを運んでくれる。
だから、私は雪を“天の恵み”だと思っています。
そしてもう一つの力は、人です。
当社は少人数ですが、現場は一人ひとりの力で成り立っています。
外作業のチームは少数精鋭、加工は連係プレー。
現場はミスが許されない分、厳しいところもあります。
ただ一つ、「未来の子どもたちのために」うまくて、そして安心して食べられる“食”を残すには、妥協しない背中を見せるしかない。味覚に自分の軸を持ち、気づきの速い人が増えるほど、当社の米と加工はもっと強くなると信じています。
私が社員に伝えているのは、“気づける人になれ”ということです。
数値やマニュアルでは拾えない、小さな変化に気づく力。その感覚が磨かれるほど、製品は良くなります。
学歴より、誠実さと観察力。それが、この土地で働く一番の価値です。
けれど、この雪があるからこそ、おいしい米ができる。
雪が大地を洗い、春に溶けてミネラルを運んでくれる。
だから、私は雪を“天の恵み”だと思っています。
そしてもう一つの力は、人です。
当社は少人数ですが、現場は一人ひとりの力で成り立っています。
外作業のチームは少数精鋭、加工は連係プレー。
現場はミスが許されない分、厳しいところもあります。
ただ一つ、「未来の子どもたちのために」うまくて、そして安心して食べられる“食”を残すには、妥協しない背中を見せるしかない。味覚に自分の軸を持ち、気づきの速い人が増えるほど、当社の米と加工はもっと強くなると信じています。
私が社員に伝えているのは、“気づける人になれ”ということです。
数値やマニュアルでは拾えない、小さな変化に気づく力。その感覚が磨かれるほど、製品は良くなります。
学歴より、誠実さと観察力。それが、この土地で働く一番の価値です。
これから
“本物”は、時間がかかるもの
有機や無農薬という言葉が、ようやく世の中に浸透してきました。
35年前、誰も見向きもしなかった頃から始めてきたからこそ、今この流れを心からうれしく感じています。
食の安全や環境への関心が高まる今、ようやく“足さないものづくり”の意味を理解してもらえるようになってきました。
長い年月がかかりましたが、やってきたことは間違っていなかったと思っています。
振り返れば、ここまで続けられたのは「土」と「人」のおかげです。
母なる大地を大切にし、人を信じてきたこと。それが、ごはんの根っこにあります。
これからの時代、もっと効率的で便利な農業が求められていくかもしれません。
でも、私は「スピードより誠実さ」を大事にしたい。
どれだけ時代が変わっても、“食べる人の顔が浮かぶ米づくり”を続けていきます。
食は、誰にとっても原点であり、日常であり、命をつなぐものです。
これからも、ひと粒ひと粒にその想いを込めて、次の世代へ、この土地と技術を渡していきたいと思っています。
35年前、誰も見向きもしなかった頃から始めてきたからこそ、今この流れを心からうれしく感じています。
食の安全や環境への関心が高まる今、ようやく“足さないものづくり”の意味を理解してもらえるようになってきました。
長い年月がかかりましたが、やってきたことは間違っていなかったと思っています。
振り返れば、ここまで続けられたのは「土」と「人」のおかげです。
母なる大地を大切にし、人を信じてきたこと。それが、ごはんの根っこにあります。
これからの時代、もっと効率的で便利な農業が求められていくかもしれません。
でも、私は「スピードより誠実さ」を大事にしたい。
どれだけ時代が変わっても、“食べる人の顔が浮かぶ米づくり”を続けていきます。
食は、誰にとっても原点であり、日常であり、命をつなぐものです。
これからも、ひと粒ひと粒にその想いを込めて、次の世代へ、この土地と技術を渡していきたいと思っています。
会社情報
| 会社名略称. | 株式会社ごはん |
|---|---|
| 勤務先名 | 株式会社ごはん |
| 本社住所 | 新潟県中魚沼郡津南町大字下船渡己5895 |
| 代表者名 | 代表 大島 知美様 |
| 1年後〜3年後の目標 | 会社としても、今の方向性を変えるつもりはありません。 やるべきことは、これまでと同じ__有機栽培を継続すること。 次の世代へ、技術と環境をきちんと渡していくことが一番の目標です。 生産も加工も、品質を落とさず続けるには人の力が欠かせません。 これまで培ってきた土づくりや工程管理を、若い人たちにも伝えていきたい。 一歩ずつ、丁寧に。派手な拡大よりも、“続けられる農業”を形にしていきます。 |
| こんな人に会いたい | パソコンでも、デザインでも、機械でもいい。 何かひとつのことに夢中になって、突き詰められる人。 “オタク”っていうのは、言い換えればプロフェッショナルなんです。 学歴や資格よりも、気が利くかどうか、細かい変化に気づけるかどうか__そこが大事。 真面目で一生懸命な「オタク」が集まれば、 きっとこの会社も、もっとおもしろくなる。 すべては、未来ある子どもたちのために。 本物の技術と誇れる“ごはん”を、次の世代へ一緒につないでいきたいと考えています。 |
| 事業内容 | 農業(有機栽培・特別栽培米の生産)および食品製造業(餅・加工米製品の製造・販売) |
| メッセージ | こちらもご覧ください! 【HP】https://gohan-company.com/ |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
| 取材者名 | ㈱採用戦略研究所 小林 |
|---|---|
| 住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
| 電話番号 | 070-1476-9740 |
| 事務所HP | https://rs-lab.jp/ |