五十公野をもっと楽しめる場所にしたい。受け継いだ歴史に、新しい挑戦を積み重ねながら歩んできた道です。【代表 水野貴弘氏】
合同会社MASUGATA
受け継いだもの
祖父が守った旅館と、三代目としての歩み
私は「ますがた荘」の三代目になります。
創業は 1963年(昭和38年)。
祖父がこの五十公野の地に割烹旅館を開業したのが、すべての始まりでした。
祖父はもともと海軍におり、戦艦の“数少ない生き残り”だったと聞いています。
生きて帰ってきたあと、しじみ獲りをしながらさまざまな仕事を経験し、その後、不動産業を開始。
そして、「五十公野に旅館を建てよう」と決めたことが、現在のますがた荘の出発点になりました。
祖父は月岡温泉が大好きで、
「本当はこの土地にも温泉をつくりたかったんじゃないかな」
と家族で話すこともあります(笑)
旅館のすぐ近くには、祖父が立ち上げた食堂もありました。(現在のカフェ・ド・ランチの場所です。)
旅館が忙しくなって食堂まで手が回らなくなり、一度閉めることになったのですが、その後はラーメン屋として貸し出した時期もありました。
しかしうまくいかず、「店舗として貸すのはやめよう」と決断したんです。
そんな中で、私は 2010年4月2日、
旅館を法人化し 「合同会社MASUGATA」 を設立。社長として事業を引き継ぎました。
三代目として旅館の歴史を継ぎながら、これからの新しい可能性も広げていきたい――そんな思いでの決断でした。
創業は 1963年(昭和38年)。
祖父がこの五十公野の地に割烹旅館を開業したのが、すべての始まりでした。
祖父はもともと海軍におり、戦艦の“数少ない生き残り”だったと聞いています。
生きて帰ってきたあと、しじみ獲りをしながらさまざまな仕事を経験し、その後、不動産業を開始。
そして、「五十公野に旅館を建てよう」と決めたことが、現在のますがた荘の出発点になりました。
祖父は月岡温泉が大好きで、
「本当はこの土地にも温泉をつくりたかったんじゃないかな」
と家族で話すこともあります(笑)
旅館のすぐ近くには、祖父が立ち上げた食堂もありました。(現在のカフェ・ド・ランチの場所です。)
旅館が忙しくなって食堂まで手が回らなくなり、一度閉めることになったのですが、その後はラーメン屋として貸し出した時期もありました。
しかしうまくいかず、「店舗として貸すのはやめよう」と決断したんです。
そんな中で、私は 2010年4月2日、
旅館を法人化し 「合同会社MASUGATA」 を設立。社長として事業を引き継ぎました。
三代目として旅館の歴史を継ぎながら、これからの新しい可能性も広げていきたい――そんな思いでの決断でした。
模索の先に見えた答え
“できない理由”をひっくり返したバーベキュー王国の誕生
五十公野公園の近くという立地を最大限に活かすため、
「この場所でできるビジネスモデルは何だろう?」
そう自分に問いかけながら、紙に100個ほどアイデアを書き出して模索を続けました。
その中で、Google検索の伸びを調べていくと「バーベキュー」というワードが上位にあがってきました。
ただ、公園内では条例の関係でバーベキューは禁止されています。
「でも、食堂の隣の敷地は空いている」
「公園と隣接しているから、公園の延長のような雰囲気は作れるんじゃないか?」
そう思い、バーベキューを“民間のビジネスとして成立させる方法”を徹底的に研究しました。
そのとき目に入ったのが、お台場で流行していた“ケータリング式バーベキュー”。
「これなら五十公野でもできる」そう確信したんです。
そして 2011年7月20日、ついに バーベキュー王国 が誕生しました。
お客様の多くは、公園の一部だと思いながら利用してくださいます。
その“自然と隣り合う感覚”を活かせたのは、この土地ならではだと感じています。
しかし、事業を立ち上げてからは、「どうやってこの場所を知ってもらうか」
という大きな課題がありました。
バーベキューというと、
「旦那さんはやりたい、けど片付けは奥さんがやる」
そういう家族の姿をたくさん見てきたんです。
“片付け”がネックになって、「じゃあバーベキューはやめようか」となるご家庭も多い。
ならば──
やりたいのにやれない理由を、こちらが全部取り除いてしまえばいい。
そう考えました。
そこで生まれたのが 「手ぶらでバーベキュー」 というスタイルです。
当時はまだ Google で調べてもそんな言葉は出てこなかった時代。
だから私は、「手ぶらでバーベキュー」という発想を一番最初に考えた人間だと思っています。
家族が気軽に楽しめる場所にしたい。
奥さんが片付けに追われず、みんなで笑って帰れる時間をつくりたい。
その思いこそが、バーベキュー王国の“原点”であり、私にとっての “転機” になりました。
「この場所でできるビジネスモデルは何だろう?」
そう自分に問いかけながら、紙に100個ほどアイデアを書き出して模索を続けました。
その中で、Google検索の伸びを調べていくと「バーベキュー」というワードが上位にあがってきました。
ただ、公園内では条例の関係でバーベキューは禁止されています。
「でも、食堂の隣の敷地は空いている」
「公園と隣接しているから、公園の延長のような雰囲気は作れるんじゃないか?」
そう思い、バーベキューを“民間のビジネスとして成立させる方法”を徹底的に研究しました。
そのとき目に入ったのが、お台場で流行していた“ケータリング式バーベキュー”。
「これなら五十公野でもできる」そう確信したんです。
そして 2011年7月20日、ついに バーベキュー王国 が誕生しました。
お客様の多くは、公園の一部だと思いながら利用してくださいます。
その“自然と隣り合う感覚”を活かせたのは、この土地ならではだと感じています。
しかし、事業を立ち上げてからは、「どうやってこの場所を知ってもらうか」
という大きな課題がありました。
バーベキューというと、
「旦那さんはやりたい、けど片付けは奥さんがやる」
そういう家族の姿をたくさん見てきたんです。
“片付け”がネックになって、「じゃあバーベキューはやめようか」となるご家庭も多い。
ならば──
やりたいのにやれない理由を、こちらが全部取り除いてしまえばいい。
そう考えました。
そこで生まれたのが 「手ぶらでバーベキュー」 というスタイルです。
当時はまだ Google で調べてもそんな言葉は出てこなかった時代。
だから私は、「手ぶらでバーベキュー」という発想を一番最初に考えた人間だと思っています。
家族が気軽に楽しめる場所にしたい。
奥さんが片付けに追われず、みんなで笑って帰れる時間をつくりたい。
その思いこそが、バーベキュー王国の“原点”であり、私にとっての “転機” になりました。
聞いてみたら、道がひらけた
大赤字からの再スタート。ヒアリングが導いた2年目の夏
正直なところ、家族からの理解はまったくありませんでした。
当時、私がやろうとしていたビジネスモデルは、新潟にはまだ存在していなかったんです。
「絶対失敗する」
「そんな金額じゃ、新発田の人は来ないよ」
そう言われ続けていました。実際、料金については「高い」と言われることも多くて、地元の新発田の方々からの反応はなかなか厳しかったですね。
それでも、新潟市からは思った以上にお客さんが来てくれていました。
とはいえ、1年目は大赤字の大失敗。
自分では「いいものを作ったつもり」でも、理解が追いつかない。
お客さんの数も思うようには伸びませんでした。
「何かが間違っているんだろうな」
そう感じてからは、来てくれたお客さんに直接聞いてみることにしました。
「どうして、うちを選んでくれたんですか?」
「どんなところが不安でしたか?」
そう質問していくと、みなさん口を揃えて同じようなことを言うんです。
選んでくれた理由は、「簡単だったから」「お金で解決できるから」。
一方で、不安だったことは、
「雨が降ったらどうなるの?」 という点でした。
当時すでに、「雨天の場合はキャンセル無料」とうたっていました。
当日キャンセルでも料金はいりません、と。
でも、お客さんが求めていたのは「キャンセルの安心」ではなかったんです。
「雨でもできる場所」
「天候に左右されずに楽しめる場所」
実はそこが一番の不安であり、欲しいものだった――。
お客さんの声を聞いて、ようやくそのことに気づきました。
「じゃあ、屋根をつけよう」
そう決めたものの、どんなに安く抑えたとしても、屋根をつくるのは大きな負担です。
本業の旅館の売上も決して楽な状況ではなかったので、正直、かなり勇気のいる決断でした。
それでも、思い切って屋根をつけたんです。
するとそこから、お客さんの入り方がガラッと変わりました。
2年目の夏頃には、想像以上のペースで予約が入るようになって、
特に「女子会」の利用が一気に増えたんです。
「なんでそんなに女子会が増えたんだろう?」
嬉しさと同時に疑問もわいて、またお客さんに聞いてみました。
そうしたら、返ってきた答えが、
「日焼けしないから!」(笑)
私の想定は、ずっと“家族連れ”だったんです。
でも実際にフタを開けてみたら、
若い女性グループのお客さんが思っていた以上に多くて、
「自分がイメージしていたターゲットと違ったんだな」と、いい意味で衝撃でした。
きちんとヒアリングをしていたからこそ見えてきたことで、
「じゃあ、このニーズをもっと伸ばしていこう」と方向性もはっきりしました。
今では、一般のお客様だけでなく、
会社のイベントとして利用していただくことも増え、遠方から団体で予約を入れてくださる企業さんもあります。
私は、
「やってみよう」と思ったことがあれば、とりあえず100個くらい書き出してみるタイプです。
それを一つひとつ、“やれるか・やれないか” を慎重に考える。
もちろん、スタートするときは「成功させたい」と思って始めます。
でも、一発目からうまくいくとは思っていないんです。
むしろ、
「失敗することも前提にして、その先どうやって成功に近づけていくか」
と考えています。
間違っていたところを修正しながら前に進む。
だから、失敗そのものは恐れていません。
当時、私がやろうとしていたビジネスモデルは、新潟にはまだ存在していなかったんです。
「絶対失敗する」
「そんな金額じゃ、新発田の人は来ないよ」
そう言われ続けていました。実際、料金については「高い」と言われることも多くて、地元の新発田の方々からの反応はなかなか厳しかったですね。
それでも、新潟市からは思った以上にお客さんが来てくれていました。
とはいえ、1年目は大赤字の大失敗。
自分では「いいものを作ったつもり」でも、理解が追いつかない。
お客さんの数も思うようには伸びませんでした。
「何かが間違っているんだろうな」
そう感じてからは、来てくれたお客さんに直接聞いてみることにしました。
「どうして、うちを選んでくれたんですか?」
「どんなところが不安でしたか?」
そう質問していくと、みなさん口を揃えて同じようなことを言うんです。
選んでくれた理由は、「簡単だったから」「お金で解決できるから」。
一方で、不安だったことは、
「雨が降ったらどうなるの?」 という点でした。
当時すでに、「雨天の場合はキャンセル無料」とうたっていました。
当日キャンセルでも料金はいりません、と。
でも、お客さんが求めていたのは「キャンセルの安心」ではなかったんです。
「雨でもできる場所」
「天候に左右されずに楽しめる場所」
実はそこが一番の不安であり、欲しいものだった――。
お客さんの声を聞いて、ようやくそのことに気づきました。
「じゃあ、屋根をつけよう」
そう決めたものの、どんなに安く抑えたとしても、屋根をつくるのは大きな負担です。
本業の旅館の売上も決して楽な状況ではなかったので、正直、かなり勇気のいる決断でした。
それでも、思い切って屋根をつけたんです。
するとそこから、お客さんの入り方がガラッと変わりました。
2年目の夏頃には、想像以上のペースで予約が入るようになって、
特に「女子会」の利用が一気に増えたんです。
「なんでそんなに女子会が増えたんだろう?」
嬉しさと同時に疑問もわいて、またお客さんに聞いてみました。
そうしたら、返ってきた答えが、
「日焼けしないから!」(笑)
私の想定は、ずっと“家族連れ”だったんです。
でも実際にフタを開けてみたら、
若い女性グループのお客さんが思っていた以上に多くて、
「自分がイメージしていたターゲットと違ったんだな」と、いい意味で衝撃でした。
きちんとヒアリングをしていたからこそ見えてきたことで、
「じゃあ、このニーズをもっと伸ばしていこう」と方向性もはっきりしました。
今では、一般のお客様だけでなく、
会社のイベントとして利用していただくことも増え、遠方から団体で予約を入れてくださる企業さんもあります。
私は、
「やってみよう」と思ったことがあれば、とりあえず100個くらい書き出してみるタイプです。
それを一つひとつ、“やれるか・やれないか” を慎重に考える。
もちろん、スタートするときは「成功させたい」と思って始めます。
でも、一発目からうまくいくとは思っていないんです。
むしろ、
「失敗することも前提にして、その先どうやって成功に近づけていくか」
と考えています。
間違っていたところを修正しながら前に進む。
だから、失敗そのものは恐れていません。
苦境の中で生まれた、新しい挑戦
大雪とコロナを越え、カフェへの挑戦が未来をひらいた
コロナ禍の中、私は旅館の運営を一度止める決断をしました。
「しばらくは旅館は難しいだろう。けれど、バーベキューは屋外だ。
人の出入りもあるし、これならこの状況を乗り越えられるかもしれない」
そう考え、別館となる小さな離れ3棟と、カフェ(現在のカフェ・ド・ランチ)を新たに立ち上げ、
バーベキュー王国のリニューアルにも踏み切りました。
しかし、思いがけない出来事が起こります。
その年の冬、大雪で屋根がすべて潰れたんです。
旅館は閉めている。
バーベキューの屋根は崩れた。
売上は月に18,240円のときもありました。
「こんな状態で大金をかけて直して、本当にお客さんは来てくれるのだろうか…」
正直、心が折れそうな時期でした。
コロナの自粛期間は、1年では終わらないと感じていました。
だからこそ、“いかに出費を抑えるか” が生き残るための鍵だったんです。
知り合いの企業さんからは、
「うちと一緒にお弁当をやらないか?」
とお誘いもありました。
でも、私は決めていました。
“今やれることに集中する” と。
そして、どう挽回するかを考えたとき、
行き着いた答えが 、国が新たな挑戦を後押ししてくれる支援制度でした。
補助金を使って建物を直し、事業の体制を立て直す。
1年目は必死で走り抜けるように過ぎていきましたが、
2年目から少しずつ賑わいが戻り、手応えを感じ始めた頃でした。
そんなとき、思わぬ知らせが届きます。
雑誌の「読者が選ぶジェラートランキング」で、
カフェのジェラートがベスト5に入った のです。
仕入れたたジェラートだったのですが、
「だったら、自分の手でもっと美味しいものを作れたら、勝負できるんじゃないか?」
そんな思いが生まれました。
そこからは行動が早かったです。
ジェラート世界チャンピオンの店に、アポなしで行きました。
ガラス越しに作業を見ながらジェラートを食べていたら、
シェフが「ちょっと」と呼んでくれて、
試作品を食べさせてもらい、そこから3時間、いろんな話を聞くことができました。
使用している機械のことも直接伺い、
すぐにメーカーへ問い合わせ。
しかしこう言われました。
「新潟にはメンテナンスできる業者がいないから、売れませんよ」
でも私は諦めませんでした。
「じゃあ、自分で探せばいい」
そう思い、県外のメンテナンス業者を探し出して見つけました(笑)
カフェ・ド・ランチでは、
ジェラート、パスタ、ピザなどを提供しています。
私はずっと和食の板前として働いてきたので、
実はイタリアンの経験はほとんどありません。
そんな私が、ピザ窯にこだわり、
12種類のジェラートを揃え、
アスパラや甘酒など珍しいジェラートまでつくっている。
知らないことに飛び込んでいくとき、私は必ず “自分の足で確かめる” というやり方をしてきました。
調べて、見に行って、聞いて、選ぶ。
それが私の流儀です。
「しばらくは旅館は難しいだろう。けれど、バーベキューは屋外だ。
人の出入りもあるし、これならこの状況を乗り越えられるかもしれない」
そう考え、別館となる小さな離れ3棟と、カフェ(現在のカフェ・ド・ランチ)を新たに立ち上げ、
バーベキュー王国のリニューアルにも踏み切りました。
しかし、思いがけない出来事が起こります。
その年の冬、大雪で屋根がすべて潰れたんです。
旅館は閉めている。
バーベキューの屋根は崩れた。
売上は月に18,240円のときもありました。
「こんな状態で大金をかけて直して、本当にお客さんは来てくれるのだろうか…」
正直、心が折れそうな時期でした。
コロナの自粛期間は、1年では終わらないと感じていました。
だからこそ、“いかに出費を抑えるか” が生き残るための鍵だったんです。
知り合いの企業さんからは、
「うちと一緒にお弁当をやらないか?」
とお誘いもありました。
でも、私は決めていました。
“今やれることに集中する” と。
そして、どう挽回するかを考えたとき、
行き着いた答えが 、国が新たな挑戦を後押ししてくれる支援制度でした。
補助金を使って建物を直し、事業の体制を立て直す。
1年目は必死で走り抜けるように過ぎていきましたが、
2年目から少しずつ賑わいが戻り、手応えを感じ始めた頃でした。
そんなとき、思わぬ知らせが届きます。
雑誌の「読者が選ぶジェラートランキング」で、
カフェのジェラートがベスト5に入った のです。
仕入れたたジェラートだったのですが、
「だったら、自分の手でもっと美味しいものを作れたら、勝負できるんじゃないか?」
そんな思いが生まれました。
そこからは行動が早かったです。
ジェラート世界チャンピオンの店に、アポなしで行きました。
ガラス越しに作業を見ながらジェラートを食べていたら、
シェフが「ちょっと」と呼んでくれて、
試作品を食べさせてもらい、そこから3時間、いろんな話を聞くことができました。
使用している機械のことも直接伺い、
すぐにメーカーへ問い合わせ。
しかしこう言われました。
「新潟にはメンテナンスできる業者がいないから、売れませんよ」
でも私は諦めませんでした。
「じゃあ、自分で探せばいい」
そう思い、県外のメンテナンス業者を探し出して見つけました(笑)
カフェ・ド・ランチでは、
ジェラート、パスタ、ピザなどを提供しています。
私はずっと和食の板前として働いてきたので、
実はイタリアンの経験はほとんどありません。
そんな私が、ピザ窯にこだわり、
12種類のジェラートを揃え、
アスパラや甘酒など珍しいジェラートまでつくっている。
知らないことに飛び込んでいくとき、私は必ず “自分の足で確かめる” というやり方をしてきました。
調べて、見に行って、聞いて、選ぶ。
それが私の流儀です。
五十公野をもっと楽しい場所へ
ジェラートの挑戦と、新しい景色をつくるこれから
五十公野という土地は、私にとって「事業をする場所」という以上の存在です。
この地で旅館を継ぎ、バーベキュー王国を立ち上げ、カフェをつくり、
多くのお客様と出会い、たくさんの変化を見てきました。
だからこそ、これから先は
「もっと楽しい五十公野をつくりたい」
という思いが一番大きいです。
今でも、五十公野公園に遊びに来たお客様が、
帰りにカフェでご飯を食べてくれたり、ジェラートを食べてくれたりする姿を見ると、
「ああ、この流れが生まれてよかったな」と感じます。
自分が想像していた以上に、
五十公野が少しずつ“楽しい場所”になってきている。
そんな手応えがあります。
そしてこれからは、
ジェラート製造にも力を入れていきたい と考えています。
ありがたいことに、カフェのジェラートを求めて来てくださるお客様も増えてきました。
だからこそ、
「もっとおいしいものをつくれるはず」
「もっと喜んでもらえるはず」
という思いが強くなっています。
これからのMASUGATAとしても、
新しい味、新しい楽しさを、この五十公野でどんどん生み出していきたい。
そして、ここを訪れる人に
“また来たい”と思ってもらえる景色
をつくっていけたらと思っています。
今後の展開については、
ぜひ楽しみにしていただけたら嬉しいです(笑)
この地で旅館を継ぎ、バーベキュー王国を立ち上げ、カフェをつくり、
多くのお客様と出会い、たくさんの変化を見てきました。
だからこそ、これから先は
「もっと楽しい五十公野をつくりたい」
という思いが一番大きいです。
今でも、五十公野公園に遊びに来たお客様が、
帰りにカフェでご飯を食べてくれたり、ジェラートを食べてくれたりする姿を見ると、
「ああ、この流れが生まれてよかったな」と感じます。
自分が想像していた以上に、
五十公野が少しずつ“楽しい場所”になってきている。
そんな手応えがあります。
そしてこれからは、
ジェラート製造にも力を入れていきたい と考えています。
ありがたいことに、カフェのジェラートを求めて来てくださるお客様も増えてきました。
だからこそ、
「もっとおいしいものをつくれるはず」
「もっと喜んでもらえるはず」
という思いが強くなっています。
これからのMASUGATAとしても、
新しい味、新しい楽しさを、この五十公野でどんどん生み出していきたい。
そして、ここを訪れる人に
“また来たい”と思ってもらえる景色
をつくっていけたらと思っています。
今後の展開については、
ぜひ楽しみにしていただけたら嬉しいです(笑)
会社情報
| 会社名略称. | 合同会社MASUGATA |
|---|---|
| 勤務先名 | 割烹旅館ますがた荘/バーベキュー王国/カフェ・ド・ランチ |
| 本社住所 | 新潟県新発田市五十公野4498‐1 |
| 代表者名 | 代表 水野 貴弘様 |
| こんな人に会いたい | 出会ってみたい人 仲良く、気持ちよく一緒に働いていける人。 やっぱり“人柄”はとても大事だと思っています。 そしてもう一つは、 料理が好きな人。 “好き”という気持ちは大前提として、 ある程度できるスキルや経験がある方だと、より嬉しいですね。 一緒に楽しく、いいものをつくっていけたらと思います。 |
| 事業内容 | 宿泊業/飲食業 |
| その他 | こちらもご覧ください‼ 《ホームページ》 https://www.masugatasou.jp(ますがた荘) https://bbq-kingdom.com (バーベキュー王国) https://cafe-de-lunch.com (カフェ・ド・ランチ) |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
| 取材者名 | ㈱採用戦略研究所 土田 |
|---|---|
| 住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
| 電話番号 | 070‐6433‐5645 |
| 事務所HP | https://rs-lab.jp |