地域と共に100年先へ。__頚城酒造が守り、つなぐ“柿崎の地酒づくり”【代表 八木崇博氏】
頚城(くびき)酒造株式会社
十八代目の原点
歴史の重みと若き日の想い
頚城酒造の歴史は約330年前、江戸時代の元禄期に遡ります。
1697年に私の先祖が酒造りを始めました。
その後、隣町の「小松酒造」を営んでいた小松家と八木家が縁戚関係となり、
1936年(昭和11年)に二つの蔵が一つになり、法人としての「頚城酒造」が誕生しました。
私はその十八代目にあたります。
子どもの頃、家業に特別な魅力を感じたことはありません。
冬になると蔵人が蔵に入り、朝には蒸気が上がり、米のにおいがあたりに充満する。
家のお風呂は米を蒸す和釜のお湯を再利用していたので、米の香りがしていましたが、
そういった環境であっても、当時の私は飲めない酒を造る家業には、興味がありませんでした。
大学では農学部へ進学し、卒業後は東京で会社勤めを始めました。
仕事は楽しく充実していましたが、将来を考えたとき、
造り酒屋というのは、特別な仕事なのではないかと思うようになりました。
その当時は、酒蔵が約1500軒程。新規参入も難しいため、 造り酒屋になれる人は例えば、医師や弁護士よりも圧倒的に少なく、 跡取りとしての資格が自分にはあるということを意識しました。
そしてここから、酒造りの奥深さと魅力に少しずつ惹かれていくことになります。
1697年に私の先祖が酒造りを始めました。
その後、隣町の「小松酒造」を営んでいた小松家と八木家が縁戚関係となり、
1936年(昭和11年)に二つの蔵が一つになり、法人としての「頚城酒造」が誕生しました。
私はその十八代目にあたります。
子どもの頃、家業に特別な魅力を感じたことはありません。
冬になると蔵人が蔵に入り、朝には蒸気が上がり、米のにおいがあたりに充満する。
家のお風呂は米を蒸す和釜のお湯を再利用していたので、米の香りがしていましたが、
そういった環境であっても、当時の私は飲めない酒を造る家業には、興味がありませんでした。
大学では農学部へ進学し、卒業後は東京で会社勤めを始めました。
仕事は楽しく充実していましたが、将来を考えたとき、
造り酒屋というのは、特別な仕事なのではないかと思うようになりました。
その当時は、酒蔵が約1500軒程。新規参入も難しいため、 造り酒屋になれる人は例えば、医師や弁護士よりも圧倒的に少なく、 跡取りとしての資格が自分にはあるということを意識しました。
そしてここから、酒造りの奥深さと魅力に少しずつ惹かれていくことになります。
“真の柿崎地酒”と“感動の食中酒”
頚城酒造の酒づくりの軸
私たちが目指す酒には、二つの大きなコンセプトがあります。
一つは、「真の柿崎地酒」をつくること。
柿崎の水、柿崎の米、そして柿崎に伝わる頚城杜氏(くびきとうじ)の伝統技術で醸し、地域の人に愛され、その結果として地域外の人からも応援される酒こそ、真の柿崎地酒だと考えています。
もう一つは、「感動の食中酒」をつくること。
料理あってこその日本酒。ただ、どうせなら心血を注いで醸した酒でも感動してほしい。主役を引き立てながらも自己の存在を認めてもらう。そんな“感動の食中酒”づくりを目指しています。
この二つを軸に、「越路乃紅梅」をはじめとした酒を醸しています。
酒蔵の一年は四季とともに動いていきます。
春は田植えが始まり、私たちも「農業支援事業」を通じて農家の方々の作業を手伝います。
夏は蔵のメンテナンスや営業活動。秋は稲刈りが始まり、並行して酒造りの準備を進めます。
そして冬になると酒造りが始まります。
日本酒は、お米と水に二つの微生物が働くことで生まれます。
麹菌が米のでんぷんを糖へ変え、その糖を酵母菌がアルコールへ変えていきます。
微生物が、最終的に私たちの理想とする酒になるように、最適な働きをしてもらうようコントロールするのが私たちの仕事です。微生物は生き物ですから、環境によって影響も受けますが、条件が変わっても目的とする品質がぶれないように整えていくことが、杜氏をはじめとした職人の技術です。
工程の中で麹づくりは非常に重要ですが、良い米がなければ良い麹はつくれません。また、どれだけ良い酒ができても、瓶詰めやラベル貼りといった製品化の工程でミスがあれば台無しになります。
田植えから仕込み、瓶詰めにいたるまで、すべての工程がつながっています。
特定の一工程だけを切り取って、重要だと言い切れるものではなく、すべてが積み重なって一つの製品になります。
一つは、「真の柿崎地酒」をつくること。
柿崎の水、柿崎の米、そして柿崎に伝わる頚城杜氏(くびきとうじ)の伝統技術で醸し、地域の人に愛され、その結果として地域外の人からも応援される酒こそ、真の柿崎地酒だと考えています。
もう一つは、「感動の食中酒」をつくること。
料理あってこその日本酒。ただ、どうせなら心血を注いで醸した酒でも感動してほしい。主役を引き立てながらも自己の存在を認めてもらう。そんな“感動の食中酒”づくりを目指しています。
この二つを軸に、「越路乃紅梅」をはじめとした酒を醸しています。
酒蔵の一年は四季とともに動いていきます。
春は田植えが始まり、私たちも「農業支援事業」を通じて農家の方々の作業を手伝います。
夏は蔵のメンテナンスや営業活動。秋は稲刈りが始まり、並行して酒造りの準備を進めます。
そして冬になると酒造りが始まります。
日本酒は、お米と水に二つの微生物が働くことで生まれます。
麹菌が米のでんぷんを糖へ変え、その糖を酵母菌がアルコールへ変えていきます。
微生物が、最終的に私たちの理想とする酒になるように、最適な働きをしてもらうようコントロールするのが私たちの仕事です。微生物は生き物ですから、環境によって影響も受けますが、条件が変わっても目的とする品質がぶれないように整えていくことが、杜氏をはじめとした職人の技術です。
工程の中で麹づくりは非常に重要ですが、良い米がなければ良い麹はつくれません。また、どれだけ良い酒ができても、瓶詰めやラベル貼りといった製品化の工程でミスがあれば台無しになります。
田植えから仕込み、瓶詰めにいたるまで、すべての工程がつながっています。
特定の一工程だけを切り取って、重要だと言い切れるものではなく、すべてが積み重なって一つの製品になります。
素晴らしい故郷「柿崎」
水・米・杜氏の技術が揃う場所
頚城酒造のある柿崎は、日本三大薬師の一つ「米山」のふもとにあり、海と山に囲まれた自然豊かな街です。
中山間地から湧き出る「大出口泉水」は平成の名水百選に選ばれており、豊かな水に恵まれた環境の中で農業も盛んで、素晴らしいお米の産地でもあります。
また、古くから酒造りの技術集団でもある「頚城杜氏」の出身中心地として、酒造りの伝統が受け継がれてきた土地でもあります。現在も杜氏を経験してきた70~80代の方が多く暮らしています。
柿崎は、酒造りに必要な「水」「米」「杜氏の技術」の全てが高水準で揃う地域であり、頚城酒造にとって大切な故郷です。
中山間地から湧き出る「大出口泉水」は平成の名水百選に選ばれており、豊かな水に恵まれた環境の中で農業も盛んで、素晴らしいお米の産地でもあります。
また、古くから酒造りの技術集団でもある「頚城杜氏」の出身中心地として、酒造りの伝統が受け継がれてきた土地でもあります。現在も杜氏を経験してきた70~80代の方が多く暮らしています。
柿崎は、酒造りに必要な「水」「米」「杜氏の技術」の全てが高水準で揃う地域であり、頚城酒造にとって大切な故郷です。
酒造りを支える人たち
確かなチーム力
頚城酒造では、現在通年社員6名、冬の仕込み期間に入ると蔵人6名が加わり、合わせて12名程の体制で全ての業務を行っています。
当蔵では今も、冬だけ酒蔵で働いてもらう「蔵人制」を採用しています。
農家の方々が、夏は農業、冬は酒蔵で働くという昔ながらの形です。
全国的にはこの蔵人制は非常に少なくなりましたが、柿崎エリアではまだ若い農家の方が多く、当蔵ではこの働き方が続いています。
現在の杜氏は、私の小中学校の後輩で、酒造りの中心となる大切な存在です。
私は酒の味わいの方向性を伝え、杜氏がそれをもとに実際の仕込みを行います。
甘さや辛さなど、言葉では表しにくい部分を酒をお互いに利くことにより擦り合わせながら、日々「味わい」の話をし、方向性を共有しています。
社員とのコミュニケーションについては、私が考えていることをできるだけ言葉にして伝えるようにしています。小さな会社なので、面と向かって話せる機会も多く、社員のことを知ること、私の考えを知ってもらうこと、その基本を大切にしています。
当蔵の社員、蔵人の良いところは、「一生懸命なところ」です。
米を洗うところから、仕込み、瓶詰めまで、多くの工程があり、それぞれに役割があります。
誰か一人が欠けても酒は完成しないということを、皆が理解したうえで、それぞれの役割をしっかり担ってくれています。
その姿勢を、いつも本当にありがたいと思っています。
当蔵では今も、冬だけ酒蔵で働いてもらう「蔵人制」を採用しています。
農家の方々が、夏は農業、冬は酒蔵で働くという昔ながらの形です。
全国的にはこの蔵人制は非常に少なくなりましたが、柿崎エリアではまだ若い農家の方が多く、当蔵ではこの働き方が続いています。
現在の杜氏は、私の小中学校の後輩で、酒造りの中心となる大切な存在です。
私は酒の味わいの方向性を伝え、杜氏がそれをもとに実際の仕込みを行います。
甘さや辛さなど、言葉では表しにくい部分を酒をお互いに利くことにより擦り合わせながら、日々「味わい」の話をし、方向性を共有しています。
社員とのコミュニケーションについては、私が考えていることをできるだけ言葉にして伝えるようにしています。小さな会社なので、面と向かって話せる機会も多く、社員のことを知ること、私の考えを知ってもらうこと、その基本を大切にしています。
当蔵の社員、蔵人の良いところは、「一生懸命なところ」です。
米を洗うところから、仕込み、瓶詰めまで、多くの工程があり、それぞれに役割があります。
誰か一人が欠けても酒は完成しないということを、皆が理解したうえで、それぞれの役割をしっかり担ってくれています。
その姿勢を、いつも本当にありがたいと思っています。
故郷を守り、未来へつなぐ
頚城酒造が目指すこれから
造り酒屋は、ただ日本酒を造って販売するだけの存在ではなく、自然や人を含めた地域とかかわり、大切な原材料を生み出す農業とかかわり、そして「酒」を共通言語とする、世界にも広がる多種多様な皆さんとの繋がりの中にあります。
「地酒」は、そうした繋がりの中で故郷を象徴し、それを用い故郷を広い世界に発信することで、地域のブランディングの一つの柱にもなり得る__そう、家業を継いで初めて実感しました。
ただ美味しい酒を造るだけでは、50年先・100年先まで続くかどうかはわかりません。お客様が好む味わいは移り変わっていきますので。
「この蔵は地域にあった方がいいよね」「なくなったら困る」
そう思ってもらえる存在になることが、この先につながっていくのだと考えています。
日本酒の味わいは、この地域そのものをどう伝えるか、ということでもあります。
例えば、この景色の中でこの酒を飲んで「本当に最高だね」と言ってもらえたとき、生まれ育った故郷を認めてもらえたようで、嬉しくなります。
また、日本酒は、言葉が通じない人とも、味わいを通して共有できるものがあります。
日本酒をきっかけに、見たこともない国の人とつながれることは、造り手としてのやりがいであり、面白さでもあります。
だからこそ、目指すのは、
故郷を守り、故郷を未来へつなげる存在になること。
そして、50年先、100年先に頚城酒造がこの町にあり続けるためには、今がその礎を固める、重要な時期だと考えています。
これからも、地域とともに生き残る造り酒屋を目指します。
「地酒」は、そうした繋がりの中で故郷を象徴し、それを用い故郷を広い世界に発信することで、地域のブランディングの一つの柱にもなり得る__そう、家業を継いで初めて実感しました。
ただ美味しい酒を造るだけでは、50年先・100年先まで続くかどうかはわかりません。お客様が好む味わいは移り変わっていきますので。
「この蔵は地域にあった方がいいよね」「なくなったら困る」
そう思ってもらえる存在になることが、この先につながっていくのだと考えています。
日本酒の味わいは、この地域そのものをどう伝えるか、ということでもあります。
例えば、この景色の中でこの酒を飲んで「本当に最高だね」と言ってもらえたとき、生まれ育った故郷を認めてもらえたようで、嬉しくなります。
また、日本酒は、言葉が通じない人とも、味わいを通して共有できるものがあります。
日本酒をきっかけに、見たこともない国の人とつながれることは、造り手としてのやりがいであり、面白さでもあります。
だからこそ、目指すのは、
故郷を守り、故郷を未来へつなげる存在になること。
そして、50年先、100年先に頚城酒造がこの町にあり続けるためには、今がその礎を固める、重要な時期だと考えています。
これからも、地域とともに生き残る造り酒屋を目指します。
会社情報
| 会社名略称. | 頚城(くびき)酒造株式会社 |
|---|---|
| 勤務先名 | 頚城(くびき)酒造株式会社 |
| 本社住所 | 新潟県上越市柿崎区柿崎5765番地 |
| 代表者名 | 代表取締役 八木崇博様 |
| 1年後〜3年後の目標 | この先目指しているのは、50年先、100年先まで続いていく蔵であることです。 そのために、これからの1〜3年はとても重要な期間だと考えています。 短いスパンではありますが、未来へ続くための土台を築く大事な時期です。 この先も頚城酒造が地域とともに存続していけるよう、その礎づくりに取り組んでいきます。 |
| こんな人に会いたい | 今、頚城酒造で働いてくれている社員は、みんな能動的で、一生懸命に役割を担ってくれています。 それは、目指す方向やビジョンを共有できているからだと感じています。 だからこそ、これから仲間になる方にも、同じ方向を見て、一緒に未来をつくっていける人と働きたいと思っています。 それぞれの人生の目標はあると思いますが、頚城酒造で働く時間の中では、私たちが掲げるビジョンを共有し、共に挑戦し、夢を実現できるような__そんな方と一緒に歩んでいきたいです。 |
| 事業内容 | 日本酒の製造・販売 |
| メッセージ | こちらもご覧ください! 【HP】https://kubiki-shuzo.co.jp/ |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社採用戦略研究所を通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
| 取材者名 | ㈱採用戦略研究所 小林 |
|---|---|
| 住所 | 新潟県長岡市山田3丁目2-7 |
| 電話番号 | 070-1476-9740 |
| 事務所HP | https://rs-lab.jp/ |